ジキル&ハイド (映画)
『ジキル&ハイド』(原題: Mary Reilly)は、1996年に公開されたアメリカ映画。 この作品はロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』を基にした、ヴァレリー・マーティンの小説『メアリー・ライリー/ジーキル&ハイドの恋』が、原作である。 監督はスティーヴン・フリアーズ、脚本はクリストファー・ハンプトンがそれぞれ担当した。なお、出演者のうちグレン・クローズとジョン・マルコヴィッチの2名は、アカデミー賞にノミネートされた1988年の作品『危険な関係』でフリアーズとハンプトンとともに仕事をしたことがある。 あらすじヘンリー・ジキル博士のメイドの一人であるメアリーは、過去に飲んだくれの父親に虐待されたこともあってか、自分の仕事に満足し、温厚で心やさしい博士とのひそやかな友情も育てつつあった。 しかし、ジキル博士の“助手”であるエドワード・ハイドに出会ってから、彼女の博士に対する態度は変わりつつあった。 当初メアリーはハイドに反発していたが、彼の美貌と情熱的な人となりに感心していた。 エドワード・ハイドは、博士に部屋を貸していたミセス・ファラデーや偶然彼と出会ったダンヴァーズ・カルー卿を殺害し、メアリーはカルー卿の殺害を目撃してしまった。 危険だと思ったメアリーは博士の元から出ようとするが、ハイドに追いかけられる。ハイドがある薬を飲んだ瞬間、ジキル博士の姿になった。 キャスト※括弧内は日本語吹替
製作1989年、プロデューサーの ジョン・ピーターズとピーター・グーバーは『メアリー・ライリー/ジーキル&ハイドの恋』の版権を手に入れ、ワーナー・ブラザースに ロマン・ポランスキーが監督する形で制作しないかと提案した[2] 。 グーバーは1989年末にソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントの最高責任者になった際、この小説の映画化企画をソニーの子会社であるトライスター ピクチャーズにうつした[3]。このとき、 ティム・バートン監督、デニーズ・ディ・ノヴィ製作のもと1991年公開予定と、企画の内容が変更された[3]。 クリストファー・ハンプトンはその映画の脚本を書く契約を結び、彼による手直しを受け入れたバートンは、この映画の監督を務める契約を1993年1月に結んだ[2]。 ディ・ノヴィは、『エド・ウッド』の製作を終えた後の1994年1月にこの映画の撮影を開始するつもりだった[4]。 ところが、グーバーが『エド・ウッド』の内容を変更するようバートンに迫ったため、これに怒ったバートンが1993年5月に『ジキル&ハイド』の監督を降板した。バートンの代理として、スティーヴン・フリアーズが監督を務め、解雇されたディ・ノヴィの後継はネッド・タネンになった。 なお、当初トライスターの予定ではジキル博士役を ダニエル・デイ=ルイスが務めることになっていた[3]。 評価制作の遅れや主演俳優のトラブルなど、この映画の評判は公開前から悪く、公開後になってもよくはならなかった。また、主演の2人がミスキャストだったという評価もあった。かくして、予算4700万ドルに対し北米興行収入成績は560万ドルという結果に終わり[5][1]、後にメアリー役のジュリア・ロバーツはゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞にノミネートされ、フリアーズも最低監督賞にノミネートされた[6]。 脚注
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