ジョフレック・ディアス
ジョフレック・ディアス(Yofrec Diaz、1999年6月10日 - )は、ベネズエラ出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。 経歴DeNA時代ドミニカ共和国で行われたトライアウトに合格し、進藤達哉編成部長が直接視察し獲得に至った[2]。2019年11月20日に横浜DeNAベイスターズと育成選手契約を結んだ[3]。背番号は109で、同じく育成選手として入団した内野手のフランディー・デラロサと共に、2020年1月28日に球団事務所にて入団会見を行い、ディアスは「オトコハ、ダマッテ、ナゲルダケ」と覚えたての日本語を披露した[4][5][注 1]。 2020年は、6月18日に田中健二朗を除く育成選手とともに、BCリーグ・神奈川フューチャードリームスへの派遣が両球団から発表された[7][8]。イースタン・リーグ公式戦には13試合に登板し、1勝2敗、防御率7.90だった。 2021年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で来日が4月3日に遅れた[9]。5月14日にスターリン・コルデロ、フランディー・デラロサとともに2年連続でBCリーグの神奈川フューチャードリームスへの派遣が発表された[10]。イースタン・リーグ公式戦には8試合に登板し、2勝1敗、防御率2.37だった。 2022年は1月8日に来日するも、成田空港でのPCR検査で無症状ながら陽性反応が出たため、政府指定施設で隔離処置を受けた[11]。春季キャンプでは登板していたが、4月11日、横浜市内の病院で左肘の内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を行ったことを球団が発表した[12]。同シーズン中はファームを含めたチームの公式戦には一度も登板せず、シーズン終了後に規定により自由契約となったが[13]、11月29日に再契約を結んだ[14]。 2023年は、8月18日のイースタン・リーグの東北楽天ゴールデンイーグルス戦で復帰登板を果たし、5試合に登板した[15]。11月5日に帰国し、オフシーズンはベネズエラのウィンターリーグに参戦[16]。11月19日に前年と同様、再契約を結んだ[17]。推定年俸は660万円[1]。 2024年はイースタン・リーグで14試合に登板し、0勝1敗1セーブ、防御率3.29の成績を挙げると、一軍の投手陣に故障や不調が続出している事情もあり、6月8日に堀岡隼人とともに支配下契約を結び[18]、即日一軍に合流した[19]。背番号は93に変更となった[20]。同日の福岡ソフトバンクホークス戦(横浜スタジアム)で、勝ち越された直後の9回表、一死一・二塁の場面で一軍初登板し、走者を返さずに抑えた[21]。なお、新しい背番号のユニフォームが間に合わず、3桁の背番号での登板となった[21]。その後は1か月近く登板間隔が空き、7月3日の東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)で、1点勝ち越している展開で2番手で登板。中軸相手に1回を三者凡退に抑える好投を見せ[22]、初ホールドを記録した[23]。その後は2試合に登板したのち、13日に登録を抹消された[24]。シーズン終盤の9月29日に再度一軍に合流した[25]。10月1日の試合では背中の張りで緊急降板した伊勢大夢に代わってその回を無失点に抑える活躍を見せた[26]。5日に登録を抹消されてシーズンを終えた[27]。 選手としての特徴分厚い胸板が特徴的で筋肉質な体を持ち、最速154km/hのストレートが武器。ベネズエラで剛速球を意味する「ラ・ピエドラ(石)」と呼ばれることを熱望している[28]。変化球はカーブ、チェンジアップ、スライダー、シンカーを投げる[5]。 人物2023年までのチームメイトであり、同郷のエドウィン・エスコバーを兄弟のように慕っている。支配下登録された際には、エスコバーから通話で激励されたと会見で語っている[29]。 詳細情報年度別投手成績
独立リーグでの投手成績
記録
背番号脚注注釈
出典
関連項目
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia