ジョン・パクソン
ジョン・マクベス・パクソン(John MacBeth Paxson、1960年9月29日 - )は、アメリカ合衆国・オハイオ州デイトン出身の元プロバスケットボール選手、元指導者。引退後、NBAシカゴ・ブルズのアシスタントコーチ、球団副社長、GMを務めている。 学生時代ノートルダム大学で選手として活躍し、1試合当たり12点の記録を残し、1983年のオールアメリカンチームに選ばれている。 NBA大学を卒業したパクソンは、1983年のNBAドラフトで1巡目全体19位でサンアントニオ・スパーズに指名された。スパーズで2シーズン過ごした後、フリーエージェントとなりシカゴ・ブルズに移籍、9年間所属し、マイケル・ジョーダンを支える選手として最初の3連覇に貢献した 伝説の3ポイントシュートパクソンの最も有名なプレイは、マイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズとチャールズ・バークレー率いるフェニックス・サンズが対峙した1993年のNBAファイナルの6戦目であった。ブルズの一員として活躍を続け3勝2敗で王手をかけたが、フェニックスのアメリカ・ウェスト・アリーナ (現:トーキング・スティック・リゾート・アリーナ) で行われたこの試合は、第4クォーター残り時間わずかで96対98の2点差でブルズはリードを許しており、このままでは第7戦にもつれ込むことは確実であった。タイムアウト後、ジョーダンが敵陣にドリブルで入り、スコッティ・ピッペンにパス。ピッペンからのボールを受けたホーレス・グラントがゴール下でディフェンスをひきつけた後にパクソンにパスを送り、ノーマークで3ポイントシュートを放った。この3ポイントシュートが決まり、残り時間3秒で試合を99対98とひっくり返した。その後サンズはタイムアウト後、ケビン・ジョンソンが逆転のレイアップシュートを狙うものの、グラントが後ろからブロックショットを決め試合終了。試合後ピッペンは、「タイムアウトの指示通りにプレーすることができた。パックス (パクソンの愛称) にボールが渡った瞬間、"よし!これは決まった!"と確信したよ」と振り返った。この伏兵の1投で、ブルズは最初の3連覇を決めたのだった。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
プレーオフ
引退後1994年に引退した後、95-96年シーズンにフィル・ジャクソンに請われてブルズのアシスタントコーチに就任している。その年ブルズはマイケル・ジョーダンの復帰後最初の優勝を果たす。パクソンはその後家族を優先したいという理由で、アシスタントコーチを辞任、ジョーダンがワシントン・ウィザーズのフロントに加入したときも、ジョーダンからヘッドコーチ就任を依頼されたが同様の理由で断っている。 その後、ブルズ専属のアナウンサーになった。 2003年4月にブルズの副社長になり、アナウンサーの地位を退く。同年の夏にジェリー・クラウスの退任に伴い、ブルズのゼネラルマネージャーに就任した。現在はゼネラルマネージャーを退き、球団社長を務めている。 脚注外部リンク
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