ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル (初代バッキンガム侯爵)
初代バッキンガム侯爵ジョージ・ニュージェント=テンプル=グレンヴィル(英語: George Nugent-Temple-Grenville, 1st Marquess of Buckingham, KG, KP, PC、1753年6月17日 - 1813年2月11日)は、イギリスの政治家、貴族。 経歴1753年6月17日、後に首相を務める政治家ジョージ・グレンヴィルとその妻エリザベス(第3代準男爵サー・ウィリアム・ウィンダムの娘)の間の長男としてロンドンに生まれる[1][2]。 イートン校をへてオックスフォード大学クライスト・チャーチで学ぶ[2]。 1774年から1779年にかけて バッキンガムシャー選挙区から選出されてホイッグ党の庶民院議員を務める[1][2]。1775年にはロバート・ニュージェントの娘メアリーと結婚した(ロバート・ニュージェントは翌1776年にジョージへの特別継承権を認めたアイルランド貴族爵位ニュージェント伯爵に叙されている)[3]。 1779年9月に死去した伯父の第2代テンプル伯爵リチャード・グレンヴィルから第3代テンプル伯爵位を継承し、貴族院議員に転じた。またこの際に勅許をえて家名を「グレンヴィル」から「ニュージェント=テンプル=グレンヴィル」に改めた[1][2]。 1782年7月から1813年6月にかけてバッキンガムシャー知事を務めた。1782年から1783年にかけてはアイルランド総督を務めた。1783年2月5日には聖パトリック騎士団(勲章)グランド・マスターとなる。1783年中にごく短期間だが、外務大臣や内務大臣を務めた。1784年12月にはバッキンガム侯爵に叙された。1787年から1789年にかけてアイルランド総督に再任した[1][2]。 1788年10月に岳父が死去し、第2代ニュージェント伯爵位を継承した[2]。1801年にはガーター勲章に叙せられた[1][2]。 栄典爵位1779年9月12日に死去した伯父リチャード・グレンヴィルから以下の爵位を継承した[2][4][5]
1784年12月4日に以下の爵位を新規に与えられた[2][1]。
1788年10月13日に妻の父ロバート・ニュージェントから特別継承規定(special remainder)で以下の爵位を継承[2][3]。 勲章
家族1775年に初代ニュージェント伯爵ロバート・ニュージェントの娘メアリー・エリザベス(1758-1812)と結婚した。彼女は1800年に「ウェストミース州におけるニュージェントのニュージェント女男爵(Baroness Nugent of Carlanstown, in the County of Westmeath)」に叙されたが、この爵位は次男ジョージに継がせるとの特別継承権付であった[6]。彼女との間に以下の3子を儲けた[2]。
出典
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