スミルノ博士の日記
『スミルノ博士の日記』(Doktor Smirnos Dagbok、独: Das Tagebuch des Dr.Smirno)は、サムエル・アウグスト・ドゥーセの推理長編小説。私立探偵レオ・カリング (Leo Carring) 登場作品の一篇。 概要医学者にして作家の小酒井不木が、法医学者の古畑種基博士との文通の中で発見・紹介された一篇である。小酒井不木と古畑種基は東大医学部時代からの親友で、当時ドイツ留学中の古畑博士が小酒井あてにドゥーゼのドイツ語訳を送ったことがきっかけで、『新青年』大正12年(1923年)1月号から連載された。当時は本格探偵小説があまり翻訳されていなかったので、愛読者の渇望を満たしたものと想像される[1]。 作者ドゥーセ(1873年8月2日 - 1933年2月9日)はスウェーデン人で、本職は軍人。南極探検隊に1901年から1903年までに気象官、地図作成者として参加し、その体験をもとに1905年に「ペンギンとアザラシの間で」を発表している。 戦前、本格推理作家として高い人気を集めた彼の作品も、1920年以降に登場し、本格黄金時代を築き上げたアガサ・クリスティーやF・W・クロフツなどの新進の本格作家の台頭とともに忘れられた存在となり、第二次大戦後は日本語訳もほとんどなく、その作品の大半が入手困難になっている。 あらすじ法医学者ワルター・スミルノはある事件で、高名な私立探偵であるレオ・カリングの助手をつとめたことがあった。彼は、彼の身の回りで起こった事件のなりゆきを最後まで見届けた人間であった。 その日記によると、ワルターは、1912年1月26日にファビアン・ボールスという友人に恋人である女優のアスタ・ドゥールを奪われた。さらにその後、1914年7月9日にプロポーズした恋人のスティナ・フェルセンに振られ、彼女は同年12月5日にファビアンと結婚してしまった。追いうちをかけるように、第一次世界大戦の影響で、1915年1月18日に株式で大損をし、破産してしまった。そのため、同年2月20日に彼はスティナより紹介された資産家の令嬢、ヘレナ・スンドハーゲンと婚約した。ここまでの経緯を彼は忘れたかったため、日記を糊付けし、1年以上日記から離れていた。 1916年2月12日の土曜日の深夜、アスタの射殺事件に巻き込まれたところで、彼の日記は再開された。 登場人物
特徴
書誌情報
脚注
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