スヴァリイェ級海防戦艦
スヴァリイェ級海防戦艦 (スウェーデン語:Sverige klass pansarskepp) は、スウェーデン海軍の装甲艦の艦級である[注釈 1]。 Pansarskeppの定義が各国で異なり、日本では一般的に海防戦艦と呼称する[注釈 2]。 同型艦は「スヴァリイェ (Sverige) 」[注釈 3]、「ドロットニング・ヴィクトリア (Drottning Victoria) 」[注釈 4] 、「グスタフ5世 (Gustav V) 」[5]の3隻である。 概要スウェーデン海軍は自国の沿岸防御のために、1906年度海軍計画において海防戦艦3隻の整備を計画した。これがスヴァリィエ級装甲艦である。しかし、設計が進むにつれて本級の建造時には世界は弩級戦艦の時代に入っており
などの研究結果を反映した結果、主砲は国産の28.3cm砲が開発・採用され、前級よりも艦形が大型化して7000トン台となった他、タービン機関の採用もあって速力は22ノットを超える高速性を発揮していた。このために当初の予算よりもコストがかかり予算が降りず、1番艦の建造予算の一部には国民からの拠金もあったが1911年になってようやく建造が始まった。2番・3番艦は政府の資金で建造された。しかし、建造途中で第一次世界大戦が勃発し、建造資材の不足で建造が伸び、就役は同大戦後となった。 本級は1920年代と1930年代の二度にわたって近代化改装を行い、弩級戦艦と見間違えるような外見に変貌した。 なお本級の「ドロットニング・ヴィクトリア (Drottning Victoria) 」 がジョージ6世戴冠記念観艦式にスウェーデン海軍の旗艦として参列した際に、外洋航行能力を持たないフィンランド海軍のイルマリネン級海防戦艦[注釈 5]「イルマリネン (Ilmarinen) 」をイギリスまで曳航したという逸話がある[7]。 そもそもジョージ6世戴冠記念観艦式に参加したフィンランド海軍の海防戦艦は「ヴァイナモイネン (Väinämöinen) 」である[8]。また「ドロットニング・ヴィクトリア」が「ヴァイナモイネン」を曳航したという事実もない[9]。 1960年代に順次、退役した。 艦形![]() 本級の船体形状は当時の主流である平甲板型船体で、艦首構造は冬は氷に閉ざされるバルト海で行動するために砕氷構造を持ち、艦首から艦尾に向けてなだらかに傾斜する甲板から前向きに「ボフォース 1912年型 28.3cm(44口径)砲」を連装砲塔に収めて1基を配置し、その後部から上部構造物が始まり、甲板1段分上がって副砲の「ボフォース 1912年型 15.2cm(50口径)速射砲」を連装砲塔に収めて1基を配置していた。艦橋構造は司令塔を下部に組み込んだ箱型とし、後部に単脚式の前部マストが立つ。 船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲は艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドが片舷2組ずつ計4組と後部マストの後部単脚檣の基部に1基ついたジブ・クレーンにより運用された。後部見張り所で上部構造物は終了し、一段下がった後部甲板上に28.3cm連装砲が後ろ向きに1基配置された。舷側甲板上には15.2cm砲が単装砲塔に収められ、片舷3基ずつ計6基が配置された。この武装配置により艦首方向に最大で28.3cm砲2門・15.2cm砲4門が指向でき、舷側方向に最大で28.3cm砲4門・15.2cm砲5門が指向できた。 各艦の船体サイズの相違は以下の通り。
前述の1920年代の近代化改装で単脚式の前檣は、頂上部に4つの信号ヤードの付いた射撃方位盤室を持つ多層構造の三脚檣に改装され、後檣は撤去され、替わりに2番煙突の上部の左右に信号ヤードが設置された。また、船体の各所に対空火器が増設された。 1930年代の近代化改装で機関の換装が行われ、一番に目を引くのは煙突の形状で、「スヴァリイェ」は1番煙突を途中で後方に折り曲げて2番煙突に強く接近させた形状となった。「グスタフ5世」は2本の煙突の上部をそれぞれ結合させた複雑な形状となった。「ドロットニング・ヴィクトリア」は改装前と同様に2本煙突のままである。このため、他国海軍からは煙突の形状を見れば艦名識別は一目瞭然となってしまった。
武装![]() 主砲![]() 主砲は新設計の「Model 1912 年型 28cm(45口径)砲」を採用している。性能は重量305kgの砲弾を最大仰角18度で19,600mまで到達し、射程18,000mで舷側装甲155mmと甲板装甲87mm、射程6,000mで350mmを貫通できるこの砲を新設計の連装砲塔に収め、砲塔1基あたり約413トンの重量があった。砲身の仰能力は仰角18度・俯角5度で左右の旋回角度は150度であった。砲弾は装填角度5度で発射速度は毎分3~4発である。1930年の改装で仰角を25度まで高め、先端のとがった新型砲弾で射程29,000mとなった。 副砲、その他の備砲副砲は新設計の「Model 1912 年型 15.2cm(50口径)速射砲」を採用した。その性能は重量46kgの砲弾を最大仰角30度で13,716mまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角30度・俯角5度で、旋回角度は120度の旋回角度を持っていた。発射速度は毎分3~4発である。
他に対水雷艇用に「ボフォース 1912年型 7.5cm(53口径)速射砲」を単装砲架で4基、「ボフォース 1916年型 5.7cm(21.3口径)カノン砲」を単装砲架で2基、8mm単装機銃2丁。対艦攻撃用に45cm魚雷発射管を水線下に片舷1基ずつ単装で2基を装備した。
就役後の武装転換「スヴァリイェ」
「グスタフ5世」
機関![]() 機関配置は機関区前部にボイラー室、後部に機関室を配置するオーソドックスな様式であった。ボイラー6基あたり煙突は1本で2本煙突となった。 ボイラー形式は3隻とも同じでヤーロー式石炭・重油混焼水管缶12基だが、推進機関は1番艦と2番艦以降で異なり、「スヴァリィエ」はウエスチングハウス式直結タービンを低速型と高速型を1組とする2組4軸推進であった。一方、「ドロットニング・ヴィクトリア」と「グスタフ5世」はモータラ(Motala)式ギヤード・タービンを2基2軸推進となっていた。燃料は石炭776トンと重油100トンである。 就役後の1930年後半に3隻は機関の更新が行われた。「スヴァリィエ」はペノエ式重油専焼水管缶4基で最大出力は25,400馬力。「ドロットニング・ヴィクトリア」「グスタフ5世」はヤーロー式6基とペノエ式2基の混載となり出力は23,900馬力と異なった。。この時に石炭が廃止されたために燃料タンクは重油のみとなり、搭載量は273トンに増加された。 防御![]() ![]() 本級の装甲様式は前級に引き続き全体防御であったが、艦形の大型化により防御重量は排水量の約26%にも達した。装甲はニッケル鋼製でチーク材の上からボルトで留められた。しかし、水雷防御用の水線下の装甲は無く、対応防御として船体は水密隔壁により13のブロックに分けられていた。 舷側防御は高さ2mの水線部装甲が最も厚い部分で203mmから末端部は152mmへとテーパーした。艦首と艦尾部は152mmから102mmであった。水線部から上の舷側装甲は100mm装甲が主砲塔の間に貼られた。水平防御は主甲板の平坦部は30mm、舷側装甲に接する傾斜部は45mmが貼られた。 主砲塔は最厚部で203mmで側面部は130mmでしかなく、バーベットも同様に甲板上は203mmであるが甲板下は150mmであった。副砲塔は最厚部で130mmで副砲バーベットは甲板上は100mmであった。 同型艦
出典注
脚注
参考文献
関連項目外部リンク
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