セロニアス・モンク
セロニアス・モンク(英語: Thelonious Monk [θəˈloʊniəs ˈmʌŋk]、1917年10月10日 - 1982年2月17日)は、アメリカ・ノースカロライナ州生まれのジャズ・ピアニストである。即興演奏における独特のスタイルと、スタンダード・ナンバーの作曲で知られ、ビバップのパイオニアの一人と評されている[1]。 来歴![]() ![]() ![]() ノースカロライナ州ロッキーマウントで生まれたが、5歳の時には両親とともにニューヨークのマンハッタンに転居している。高校は卒業しなかったようである[4]。6歳の時にピアノの演奏を始め、クラシック音楽のレッスンを10歳から12歳まで受けている。しかしジャズ・ピアノに関しては独学と考えられている。 ハイティーンの頃にはジャズ演奏の仕事が見つかり始め、1941年頃のジェリー・ニューマン (Jerry Newman) のレコーディングに参加している。この録音は、ニューヨークのクラブ「ミントンズ」(Minton's) で行われ、モンクはこのクラブのバンドのピアニストとして雇われていた。 1940年代初頭より、ジャズ・ピアニストとしての活動を始める。ブルーノート・レコード、プレスティッジ・レコード、リバーサイド・レコード、コロムビア・レコードなどのレーベルに演奏を残した。プレスティッジの時代まではレコードがほとんど売れず、生活が困窮した時期もあったという。代表曲には「ラウンド・ミッドナイト」「ストレイト・ノー・チェイサー」「ブルー・モンク」などがある[5]。モンクの演奏スタイルは、この頃は「ハード・スウィンギング」と呼ばれる類いのもので、 アート・テイタムのスタイルに近かった。1944年にモンクは、自身の最初のスタジオ録音をコールマン・ホーキンス・カルテットと共に行っている。 1947年にネリー・スミス (Nellie Smith) と結婚し、同じ年にバンド・リーダーとしての初めての録音がなされた。モンクはビバップの誕生を告げたチャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーの『バード&ディズ』(1947年)に参加した[6][7][8]。 1950年代と1960年代を通して、ツアーとレコーディングとをこなしたが、1970年代の始めには、表舞台から姿を消した。 1971年11月に最後の録音が行われ、生涯最後の10年間はごく数回の演奏が行われたのみである。モンクの悲劇は、医療の貧困にもあるとされている。彼は精神疾患を発症していたが、病名は特定されなかったという[9]。 1982年2月17日、脳梗塞により死去。64歳没。ニューヨーク州ハーツデイル (Hartsdale) にある、ファーンクリフ墓地に埋葬された。 演奏モンクが「ピアノは間違った音を出さない」と言ったことは有名である。 [11] トマス・オーウェンズ (英語: Thomas Owens)は、次のように述べている。
このような非正統的な演奏アプローチとは対照的に、モンクは素晴らしい速度と正確さでアルペジオを演奏することもできた。マーティン・ウィリアムズとラン・ブレイクは指の独立性の高さを指摘しており、そのため右手でメロディー・ラインとトリルとを同時に演奏することもできた[12]。 モンクはしばしば全音音階の一部を使用し、上昇もしくは下降音階で演奏することで、数オクターブをカバーしている[12]。また、かれが作曲したいくつかの曲の主題においても使われている平行六度を特徴とする即興演奏を拡張した[13]。ソロにおいては、無音の空白とロング・ノーツを特徴としている。また、ビバップを基盤とするピアニストには珍しく、伴奏やソロにおいて彼は、左手でのストライド・パターンを採用していた。伴奏者としての特徴には、しばしば演奏を止めてしまいベースとドラムだけにソリストをサポートさせるという傾向もある[14]。 モンクは、変ロ長調をとくに好んで用いており、「ブルー・モンク」、「ミステリオーソ」、「ブルース・ファイブ・スポット」、「ファンクショナル」といった、彼が作曲した何曲ものブルースは、全て変ロ長調である。加えて、かれのシグネチャー曲である「セロニアス」の構成は、執拗に繰り返される変ロ長調のトーンに占められている[15]。他のピアニストからの影響については、オーウェンズはアート・テイタムとテディ・ウィルソン、デューク・エリントンの名を挙げている[13]。 モンクの死後、その音楽はジャズ評論家や聴衆によって再評価され、モンクはマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンなどと並び、ジャズの巨人の一人に数えられている。1988年、クリント・イーストウッド製作総指揮による、モンクの生涯と音楽についてのドキュメンタリー映画『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』が公開された。 ディスコグラフィリーダー・アルバム
コンピレーション・アルバム
関連映像作品
脚注
書籍
関連項目外部リンク |
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