セロニアス・モンク・プレイズ・デューク・エリントン
『セロニアス・モンク・プレイズ・デューク・エリントン』(原題:Thelonious Monk Plays Duke Ellington)は、1955年に発売されたアルバム。 セロニアス・モンクがデューク・エリントンの有名曲を演奏したものである。リバーサイド・レコードでの最初のアルバムであり、ルディ・ヴァン・ゲルダーが1955年7月21日・27日にニュージャージー州ハッケンサックで録音した。イギリスで2007年4月16日に、米国で2007年3月27日に再発された[1]。 長さは36分51秒、プロデューサーはオリン・キープニュース。[1] 背景アルバム『セロニアス・モンク・プレイズ・デューク・エリントン』はモンクとレーベルの妥協の産物である。それまでのモンクはときおりカバー演奏をしたが、自作演奏が主であり、1953-1954年にプレスティッジ・レコードで自作集をつくっていた。しかし、モンクの音楽はメインストリームのレコード購買層には「難解すぎる」というのが一般の認識であり、プレスティッジでの売り上げは悲惨であった。 リバーサイドでキープニュースはモンクの契約を100ドルで買い、モンクに「エリントン集をやってくれ」と説得した。 次作の『ザ・ユニーク』もジョージ&アイラ・ガーシュウィン、ガス・カーン、ユービー・ブレイク、アンディー・ラザフ、ファッツ・ウォーラー、エディ・ドゥランジュ、ジェームズ・ヴァンヒューゼン、ビンセント・ユーマンズ、アーヴィング·シーザー、リチャード・ロジャース、ロレンツ・ハート、ジェシー・グリア、レイモンド・クラーゲスなど、他人の曲ばかりであった。 この2作の売り上げはおだやかなものだったが批評家から好評で、皮肉にも、商業的に成功したのはオリジナルのみの3作目『ブリリアント・コーナーズ』だった。 このアルバムが録音された時、エリントンのキャリアは落ち目であり、クール・ジャズの小編成グループが流行りだしていた。実際、1955年にこのアルバムが発売されたころエリントンはキャピトル・レコードから契約を解除され、自分のオーケストラを維持できなくなっていた。もっとも、翌1956年のニューポート・ジャズ・フェスティバルで華々しく復活するのであるが。 評価
収録曲
メンバー
参照
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