タイエ・タイウォ
タイエ・イスマイラ・タイウォ(Taye Ismaila Taïwo, 1985年4月16日 - )は、ナイジェリア・ラゴス出身の元サッカー選手。元ナイジェリア代表。現役時代のポジションは、DF(左サイドバック)。 経歴クラブ2005年1月10日にフランスのオリンピック・マルセイユに加入すると元日本代表監督であるフィリップ・トルシエ監督の下、名手ビセンテ・リザラズが抜けた左サイドバックを日本代表の中田浩二と争った。2006年にはアフリカ・ヤングプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。左サイドバックのレギュラーとして、2007-08・2008-09・2010-11シーズンの3度に渡りってリーグベストイレブンに選出された。 2011年6月1日にイタリアのACミランへの移籍が発表された。左サイドバックの定位置を確保するものと思われていたが、8月21日に行われたユヴェントスとの親善試合で足首を負傷し全治1カ月と診断された[1]。復帰後も戦術理解能力の低さから先発に定着できず、2012年1月24日にイングランドのQPRへ半年間のレンタル移籍が決定。 2013年7月、ブルサスポルへ完全移籍。契約期間は3年[2]。 2015年8月23日、HJKヘルシンキに移籍した。 2017年1月30日、FCローザンヌ・スポルトに移籍した。 2017年8月9日、AFCエシルストゥーナに移籍した。 2018年3月7日、ロヴァニエメン・パロセウラに移籍した。 2020年7月3日、ドクサ・カトコピアスFCに移籍した。 代表オランダで開催された2005 FIFAワールドユース選手権に出場し2得点を挙げ、準優勝に貢献。大会3番目のプレーヤーとして、ブロンズボール賞を受賞した。2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会の代表にも選出されている。 ナイジェリア代表としては2004年11月17日の南アフリカ戦でデビュー。アフリカネイションズカップ2006のガーナ戦では決勝点となる代表初得点を挙げた。2008年、2010年のアフリカネイションズカップにも出場した。 北京オリンピック出場はマルセイユの要請を考慮し辞退した。 2010 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、アルゼンチン戦とギリシャ戦に先発出場した。 代表歴出場大会試合数
獲得タイトルクラブ
個人
脚注
外部リンク
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