タイキフォーチュン(欧字名:Taiki Fortune、1993年2月9日 - 2025年2月21日)[1]は、日本の競走馬、種牡馬。
主な勝ち鞍に、1996年のNHKマイルカップ(GI)、毎日杯(GIII)。
戦績
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[2]
1993年2月9日、アメリカ合衆国に誕生[3]。アイルランドで調教が施されたのち、日本で外国産馬としてデビューした[3]。
1995年11月5日、東京競馬場の新馬戦に出走し、8着。翌週の新馬戦に連闘で出走して初勝利を挙げる。中山競馬場の葉牡丹賞をレコードタイムで制して西下し、ラジオたんぱ杯3歳ステークスに出走もロイヤルタッチの11着に終わる。年明けて弥生賞から始動しダンスインザダークの7着ののち再び西下して毎日杯に出走して優勝した。
新設されたNHKマイルカップへ出走、18頭中14頭が外国産馬となった[3]。レース前にはマイル戦への対応が不安視されたが、逃げたバンブーピノが作り出した前半1000メートル通過56秒7というハイペースの展開が中距離向きの馬の台頭を促した形となり、直線では鋭く伸びて最後は遊びつつ勝利、NHKマイルカップ初代王者に輝いた[4]。このレースで記録された1分32秒6というレースレコードタイムは、当時の東京芝1600メートル全体のレコードタイムである1分32秒4(1990年の第40回安田記念でオグリキャップが記録したタイム)とコンマ2秒しか違わないもので異様とも評され[4]、2004年にキングカメハメハが更新するまで維持された[5]。実際、フジテレビでこのレースを実況した三宅正治アナウンサーは4歳馬(現:3歳馬)でこの勝ちタイムを叩き出したため驚愕し、解説の吉田均に「これは…!電光掲示板、間違ってないですよね?」と確認を求める程であった。
秋は毎日王冠から始動して1番人気に支持されるもアヌスミラビリスの8着。続く2戦、ジャパンカップは6着、有馬記念11着と連敗を重ね、古馬になっても勝ち星とは縁遠く、1997年のマイルチャンピオンシップ(競走中止)から連闘で挑んだジャパンカップ(14着)が最後のレースとなった。
競走成績
以下の内容は、JBISサーチ[2]およびnetkeiba.com[6]に基づく。
競走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 |
タイム (上がり3F) |
着差 |
騎手 |
斤量 [kg] |
1着馬(2着馬) |
馬体重 [kg]
|
1995.11.05
|
東京
|
3歳新馬
|
|
ダ1400m(良)
|
14
|
7
|
12
|
002.60(2人)
|
08着
|
R1:30.1(41.0)
|
-2.2
|
0柴田善臣
|
54
|
タイキフォレスト
|
488
|
0000.11.11
|
東京
|
3歳新馬
|
|
芝1800m(良)
|
9
|
3
|
3
|
003.00(1人)
|
01着
|
R1:52.9(35.5)
|
-0.1
|
0柴田善臣
|
54
|
(シロキタクロス)
|
480
|
0000.12.02
|
中山
|
葉牡丹賞
|
500万下
|
芝2000m(良)
|
11
|
3
|
3
|
021.60(5人)
|
01着
|
R2:01.6(36.7)
|
-0.4
|
0柴田善臣
|
54
|
(マキノプリテンダー)
|
480
|
0000.12.23
|
阪神
|
ラジオたんぱ杯3歳S
|
GIII
|
芝2000m(良)
|
15
|
8
|
15
|
005.20(3人)
|
11着
|
R2:04.0(36.3)
|
-1.3
|
0坂本勝美
|
54
|
ロイヤルタッチ
|
478
|
1996.03.03
|
中山
|
弥生賞
|
GII
|
芝2000m(良)
|
13
|
1
|
1
|
017.80(4人)
|
07着
|
R2:03.7(36.3)
|
-1.0
|
0柴田善臣
|
55
|
ダンスインザダーク
|
490
|
0000.03.24
|
阪神
|
毎日杯
|
GIII
|
芝2000m(良)
|
16
|
3
|
6
|
005.80(3人)
|
01着
|
R2:01.1(35.3)
|
-0.2
|
0柴田善臣
|
55
|
(ナムライナズマ)
|
486
|
0000.05.12
|
東京
|
NHKマイルC
|
GI
|
芝1600m(良)
|
18
|
4
|
7
|
011.80(4人)
|
01着
|
R1:32.6(34.8)
|
-0.1
|
0柴田善臣
|
57
|
(ツクバシンフォニー)
|
486
|
0000.10.06
|
東京
|
毎日王冠
|
GII
|
芝1800m(良)
|
12
|
8
|
12
|
003.60(1人)
|
08着
|
R1:46.8(35.7)
|
-1.0
|
0柴田善臣
|
57
|
アヌスミラビリス
|
500
|
0000.11.24
|
東京
|
ジャパンC
|
GI
|
芝2400m(良)
|
15
|
2
|
3
|
012.10(5人)
|
06着
|
R2:24.3(36.2)
|
-0.5
|
0柴田善臣
|
55
|
シングスピール
|
494
|
0000.12.22
|
中山
|
有馬記念
|
GI
|
芝2500m(良)
|
14
|
8
|
13
|
016.90(7人)
|
11着
|
R2:36.5(38.7)
|
-2.7
|
0柴田善臣
|
55
|
サクラローレル
|
496
|
1997.04.05
|
中山
|
ダービー卿CT
|
GIII
|
芝1600m(重)
|
13
|
7
|
11
|
006.70(4人)
|
09着
|
R1:37.2(38.0)
|
-1.7
|
0柴田善臣
|
57
|
ロイヤルスズカ
|
496
|
0000.05.10
|
東京
|
京王杯SC
|
GII
|
芝1400m(良)
|
16
|
5
|
10
|
007.40(4人)
|
04着
|
R1:20.9(33.5)
|
-0.4
|
0柴田善臣
|
58
|
タイキブリザード
|
494
|
0000.06.08
|
東京
|
安田記念
|
GI
|
芝1600m(良)
|
18
|
4
|
8
|
006.00(2人)
|
11着
|
R1:34.9(35.6)
|
-1.1
|
0柴田善臣
|
58
|
タイキブリザード
|
498
|
0000.11.16
|
京都
|
マイルCS
|
GI
|
芝1600m(良)
|
18
|
5
|
9
|
067.8(14人)
|
|
競走中止
|
|
0柴田善臣
|
57
|
タイキシャトル
|
498
|
0000.11.23
|
東京
|
ジャパンC
|
GI
|
芝2400m(良)
|
14
|
7
|
11
|
056.9(11人)
|
14着
|
R2:28.3(37.5)
|
-2.5
|
0柴田善臣
|
57
|
ピルサドスキー
|
492
|
種牡馬時代
引退後はイーストスタッドで種牡馬として供用され、2000年から2004年までの供用で血統登録頭数29頭、出走頭数23頭を記録[7]。2005年以降は種付け記録がなく種付料も2012年の時点ではプライヴェートに設定されていた[8]。その後、イーストスタッドからの申し出があって認定NPO法人引退馬協会のフォスターホースの一頭に加わることになり[5][注釈 1]、2020年1月18日に新ひだか町の本桐牧場に移動した[9]。高齢のため、去勢手術は見送られた[5]。
2024年4月にはフラワーパークの死亡により、同時点で存命最年長のJRA・GI競走優勝馬およびJRA重賞優勝馬となった。
2025年2月21日、繋養されていた本桐牧場で死亡。当日はいつも通り放牧され飼葉も完食していたが16時頃に倒れそのまま立ち上がれず、呼吸が荒れ心拍数も上昇したため、苦痛を長引かせないよう安楽死処分されたという。本馬の死亡により、同時点で存命最年長のJRA・GI競走優勝馬およびJRA重賞勝利馬はメジロファラオ(1999年中山グランドジャンプ勝ち馬)[注釈 2]となった。
血統表
参考文献
脚注
注釈
- ^ イーストスタッドからは、過去にタイキシャトルとメイショウドトウを引退馬協会のフォスターホースとして送り出している。
- ^ 平地重賞のみに限定するとテイエムオオアラシ(1997年カブトヤマ記念・福島記念勝利馬)が存命最年長のJRA平地重賞勝利馬に、メジロドーベル(GI・5勝含む重賞7勝)が存命最年長のJRA平地GI勝利馬となる。
出典
外部リンク