チョルトキウ (ウクライナ語 : Чортків , 発音 [ヘルプ /ファイル ] ; ポーランド語 : Czortków ; イディッシュ語 : טשאָרטקאָוו , Chortkov ; ロシア語 : Чортков , チョルトコフ[ 6] ) は、ウクライナ西部のテルノーピリ州 オーブラスチ )のチョルトキウ地区 (ウクライナ語版 、英語版 ) の市である[ 1] 。
チョルトキウ地区(ラヨン )の行政の中心地であり、同地区の行政庁舎が置かれている。またウクライナのフロマーダ の一つ、チョルトキウ都市型フロマーダ (ウクライナ語版 ) の行政中心地でもある[ 1] [ 7] 。人口は2021年推計で28,393人[ 4] 。
チョルトキウは、歴史的地域のハルィチナー ・ポジーリャ の北部、セレト川 沿いに位置している[ 2] [ 8] 。またルーマニア の国境からは約140キロの地点に位置している[ 9] 。
過去にはチョルトキウは多くのハシド派 ユダヤ人 の拠点であり、特筆すべきシュテットル で、ホロコースト 以前はかなりの数のユダヤ人が居住していた。現代のチョルトキウは地域の商業と小規模製造業の中心地となっている[ 8] 。建築記念碑の中には、それぞれ16世紀と17世紀に建設された要塞群や[ 10] 、17世紀から18世紀にかけて建設されたウクライナの木造教会群 (英語版 ) を有している[ 11] 。
歴史
チョルトキウ城 (英語版 )
チョルトキウが最初に歴史史料で言及されたのは1522年で[ 2] 、ポーランド王ジグムント1世 が、イエジィ・チャルトコフスキ (Jerzy Czortkowski)へ町の所有権の命令を付与し、町の名をチャルトコフスキ自身の名に因んだチャルトコフ (Czortków) への命名を許可した時だった[ 11] 。1648年から1649年のコサック・ポーランド戦争 では 約50家族を数えるこの小さなコミュニティは、ほぼ全員が虐殺された。ユダヤ人指導者たちは1705年まで、ユダヤ人のチョルトキウへの再定住を反対した[ 12] 。同時期に町はマクデブルク法による自治権 も認められた[ 8] 。
1931年、町には19,000人の居住者がおり、その内46.4パーセントはローマ・カトリック 信者のポーランド人 、30パーセントはユダヤ系のウクライナ人とポーランド人、22.8パーセントはウクライナ東方カトリック 信者のウクライナ人 であった。
チョルトキウはポーランドの国境防衛隊 (英語版 ) "Podole"旅団の重要な駐屯地で、1935年から1938年の総司令官はステファン・ロヴェツキ (英語版 ) 将軍であった。さらにはポーランドの第36歩兵師団の駐屯地でもあった。
ソビエト連邦 による西ウクライナの併合 (英語版 ) によって、市は1939年9月17日から1941年6月までソ連に併合された。1940年1月、ポーランド人居住者たち、特に地元の高校の生徒たちは、失敗に終わるチャルトコフの蜂起 (英語版 ) [ 注釈 2] を組織し[ 13] 、 それは第二次世界大戦 におけるポーランド人の最初の反乱となった。1941年から1944年は、ナチス・ドイツ が設立したポーランド総督府 に併合された。1944年、赤軍 によってナチスが敗北すると、1991年に独立したウクライナの一部となるまでは町はソ連の統治下に置かれた。ユダヤ人住民は、ホロコースト の一環として迫害されるか国外追放された。生き残った町のポーランド人住民は、大戦直後に回復領 へ移送させられた。
1944年、州都テルノーピリ の激しい破壊のためチョルトキウは州の行政中心地の役割を果たした[ 14] 。
1989年1月の人口は、26,681人であった[ 15] [ 2] 。
2013年1月の人口は、29,640人であった[ 16] 。
2020年7月18日まで、チョルトキウは州内重要市 (英語版 ) に指定されており、チョルトキウ地区(ラヨン)の行政中心地であったにもかかわらず、同ラヨンに属していなかった。同日にウクライナ最高議会 によって可決された、テルノーピリ州のラヨン数を3に減らした地方自治体行政区画改革の一環として州内重要市 (英語版 ) 制度は廃止され、市はチョルトキウ地区に編入された[ 17] [ 18] [ 19] 。
ロシアのウクライナ侵攻
2022年2月24日から始まったロシアのウクライナ侵攻 において、前線となったウクライナ中北部、東部、南東部の前線からは距離的には離れていたものの、6月12日には黒海 から発射されたミサイル 4発による攻撃を受け、軍事施設やアパートが破壊され、22人が負傷したと報じられた[ 6] [ 9] 。
天候
チョルトキウ (1981–2010)の気候
月
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
年
平均最高気温 °C (°F )
−0.7 (30.7)
0.9 (33.6)
6.0 (42.8)
13.9 (57)
20.1 (68.2)
22.6 (72.7)
24.7 (76.5)
24.2 (75.6)
18.9 (66)
12.9 (55.2)
5.3 (41.5)
0.2 (32.4)
12.4 (54.3)
日平均気温 °C (°F )
−3.5 (25.7)
−2.5 (27.5)
1.8 (35.2)
8.5 (47.3)
14.3 (57.7)
17.1 (62.8)
19.0 (66.2)
18.3 (64.9)
13.5 (56.3)
8.2 (46.8)
2.2 (36)
−2.4 (27.7)
7.9 (46.2)
平均最低気温 °C (°F )
−6.1 (21)
−5.3 (22.5)
−1.6 (29.1)
4.0 (39.2)
9.2 (48.6)
12.3 (54.1)
14.1 (57.4)
13.4 (56.1)
9.1 (48.4)
4.5 (40.1)
−0.3 (31.5)
−4.8 (23.4)
4.0 (39.2)
降水量 mm (inch)
31.3 (1.232)
39.1 (1.539)
35.7 (1.406)
47.8 (1.882)
80.7 (3.177)
90.3 (3.555)
92.0 (3.622)
72.8 (2.866)
59.9 (2.358)
37.4 (1.472)
37.8 (1.488)
39.0 (1.535)
663.8 (26.134)
平均降水日数 (≥1.0 mm)
7.8
8.4
8.6
8.4
10.0
10.1
10.2
8.6
8.3
6.9
8.0
9.4
104.7
% 湿度
84.1
81.6
76.5
68.2
67.7
72.5
73.0
73.9
77.4
80.2
85.2
86.4
77.2
出典:World Meteorological Organization [ 20]
ギャラリー
市庁舎
市庁舎
チョルトキウの被昇天教会
歴史的旧郡裁判所ビル
チョルトキウ城と連隊教会遺跡
聖スタニスラウス教会
鉄道駅
チョルトキウ文化会館
市の中心地と旧市庁舎
スタジアムでのサッカーの試合(1938年)
Peter and Paul Cathedral
関連項目
脚注
注釈
^ 地理情報の符号化 によってウクライナの地方自治体の行政区画ごとに付けられた識別符号[ 5] 。
^ 蜂起の呼称はチョルトキウのポーランド語名のCzortków による。
出典
^ a b c d e “Чортків - Тернопільська область ” (ウクライナ語). decentralization.gov.ua . 2022年6月14日閲覧。
^ a b c d Чортков // Большой энциклопедический словарь (в 2-х тт.). / редколл., гл. ред. А. М. Прохоров. том 2. М., "Советская энциклопедия", 1991.
^ “Chortkiv (Ternopil Oblast, Chortkiv Raion) ” (ウクライナ語). weather.in.ua . 2012年2月2日閲覧。
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^ a b “ロシア記念日、南部で国籍付与 西部ではミサイル攻撃―ウクライナ:時事ドットコム ”. 時事ドットコム (2022年6月12日). 2022年6月14日閲覧。
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^ a b c “Chortkiv ”. Encyclopedia of Ukraine . 2012年2月3日閲覧。
^ a b “ロシア、ウクライナ西部を空爆 東部要衝では橋破壊 ”. www.afpbb.com (2022年6月13日). 2022年6月14日閲覧。
^ “CHORTKIV CASTLE, 1610 ”. Halychyna! - Homeland Page . Central European University Personal Pages. 2012年2月3日閲覧。
^ a b “Foundations of history ” (ウクライナ語). chortkiv.com.ua . Unicom ISP. 2012年2月3日閲覧。
^ “Jewish History of Chortkiv ”. Beit Hatfutsot Open Databases Project, The Museum of the Jewish People at Beit Hatfutsot
^ Gross, Jan Tomasz (2002). Revolution from Abroad: The Soviet Conquest of Poland's Western Ukraine and Western Belorussia . Princeton University Press . pp. 172. ISBN 0-691-09603-1
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^ Всесоюзная перепись населения 1989 г. Численность городского населения союзных республик, их территориальных единиц, городских поселений и городских районов по полу
^ Чисельність наявного населення України на 1 січня 2013 року. Державна служба статистики України. Київ, 2013. стор.96
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^ “Нові райони: карти + склад ” (ウクライナ語). Міністерство розвитку громад та територій України.
^ Автор. “чи залишаються міста обласного значення чи будуть також реорганізовані (ліквідовані) та створені нові райони ” (ウクライナ語). decentralization.gov.ua . 2022年6月20日閲覧。
^ “World Meteorological Organization Climate Normals for 1981–2010 ”. World Meteorological Organization. 2021年7月17日時点のオリジナル よりアーカイブ。2021年7月17日閲覧。
外部リンク
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