テン・イヤーズ・アフター
テン・イヤーズ・アフター(Ten Years After)は、イングランドのブルースロック・バンドである。 1960年代に隆盛したハードブルースの代表的グループ。後のハードロックを形成する過渡期において、重要な役割を果たした。1974年に解散したが、1980年代以降から再始動している。 概要ブルースをベースにジャズやリズム・アンド・ブルースなど、多様なセンスを持ったハードロックの原型とも言える楽曲をプレイしていた。ギタリストのアルヴィン・リーが弾くマシンガン・ピッキングは当時のギターの中でも異彩を放っている。 バンド名は「バンドが10年後も存続しているように」という願いに由来する。1974年に解散したため叶わなかったが、その後に再結成した。 略歴![]() [2]1961年頃、ノッティンガムにてイヴァン・ジェイを中心として発足。翌1962年に「The Jaybirds」を結成。1965年にロンドンへ進出し、メンバーの変遷を経た翌1966年からアルヴィン・リー(ボーカル、ギター)、レオ・ライオンズ(ベース)、リック・リー[注釈 1](ドラムス)、チック・チャーチル(キーボード)の顔ぶれで「テン・イヤーズ・アフター」を名乗って活動を開始した。 1967年、セルフタイトルのファースト・アルバムで早くも賞賛を受け、1968年には初の全米ツアーを行った[3]。1969年8月には「ウッドストック・フェスティバル」に出演して、「アイム・ゴーイング・ホーム」の演奏[注釈 2]で人気を確固たるものとした。 1972年5月に「プロコル・ハルム」とのジョイント・コンサートで初来日を果たす。1973年6月、アルバート・ハモンドを伴って再来日を果たした際、ライオンズのあまりにも激しいプレイのため、ベース・ギターの弦が切れたのは有名である。 1974年に解散。アルヴィン・リーはソロで活躍した。ライオンズはマイケル・シェンカー時代の「UFO」の音楽プロデューサーとして名を馳せた。 1975年、アメリカでのフェアウェル・コンサートのため一時的に再結成し、8月4日のサンフランシスコのウィンターランドでのコンサートなどを行なった。1983年には8月28日のレディング・フェスティバルに出演するために再結成し、それに先立って7月1日のロンドン「マーキークラブ25周年記念コンサート」にも出演した。 再始動![]() 1988年頃から本格的に再始動し、翌年8月に15年ぶりのアルバム『アバウト・タイム』を発表。 2003年、アルヴィン・リーに代わり、ジョー・グーチが加入。 自主レーベル「Ten Years After Records」を設立し、2004年に第一弾アルバム『Now』を発表。 2013年3月6日、アルヴィン・リーがスペインにて外科手術の際の予期せぬ合併症のため死去[4]。同年12月30日、ライオンズ、グーチが脱退し、「Hundred Seventy Split」の活動に専念する[5]。 2014年、マーカス・ボンファンティ(ギター/ボーカル)、コリン・ホッジキンソン(ベース)が加入。 2017年、9年ぶり13枚目のアルバム『A Sting in the Tale』を発表[6]。 2024年9月、リック・リー、チャーチル、ボンファンティ、ホッジキンソンのラインナップが終了し、2025年初頭に新しいラインナップを公開する予定であるとリック・リーより発表された[7]。 メンバー現ラインナップ
旧メンバー![]()
ディスコグラフィスタジオ・アルバム
ライブ・アルバム
日本公演出典[8]。 1972年
1973年
脚注注釈
出典
外部リンク |
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