マウンテン (バンド)
マウンテン(Mountain)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身のハードロック・バンドである。グランド・ファンク・レイルロード(Grand Funk Railroad)と並び、1970年代前半のアメリカン・ハードロックの草創期から活動する代表的グループとして知られる[4]。 歴史結成まで1967年、ニューヨークを拠点に活動していたプロデューサーのフェリックス・パパラルディ[注釈 1]は、ロング・アイランド出身のバンドのヴァグランツをアトコ・レコードに推薦して契約を成立させ、彼等に自作曲を提供してプロデュースを担当してシングル発表させた[5]。 1969年、パパラルディ[注釈 2]はヴァグランツのレスリー・ウェスト(ギター、ボーカル)のソロ・デビュー・アルバム『マウンテン』のプロデューサーを務めて、曲作りにも参加しベースとキーボードを演奏し、同アルバムを自ら設立したウィンドフォール・レコードから発表した。その後、パパラルディ(ベース、ボーカル)とウェストは『マウンテン』の制作に参加したN.D.スマート(ドラムス)、元ジ・デヴィルズ・アンヴィル[6][注釈 3]、ウイングス[注釈 4]のスティーヴ・ナイト[7](キーボード)とマウンテンを結成した[8]。 1969年‐1972年彼等は1969年7月にフィルモア・ウェストでライブ・デビューし、8月16日にはウッドストック・フェスティバルに出演した[注釈 5]。その後、カナダ出身で当時エナジーのメンバーだったコーキー・レイングが、スマートに代わってドラマーとして加入した[8][9]。 1970年、デビュー・アルバム『勝利への登攀』を発表。同アルバムからのシングル「ミシシッピー・クイーン」が全米21位のヒットとなった[10]。同曲は1971年の映画『バニシング・ポイント』の挿入曲に使用され[11]、日本でもフジテレビの番組「ひらけ!ポンキッキ」でかなりの間使用された。 1971年、2作目『ナンタケット・スレイライド』がアメリカのBillboard 200で彼等のアルバムとしては最高の16位を記録した[10]。1972年には日本で同アルバムからのシングル「暗黒への旅路」[12]がヒットした。 1971年末、片面にスタジオ録音、片面にライブ録音を収録した3作目『悪の華』を発表。デビュー以来ツアーに明け暮れた結果、ハード・ロック志向を強めるウェストと、ミシガン大学でクラシックを専攻した素養を生かしプログレッシヴ・ロック志向を強めた[要出典]パパラルディとの対立で1972年初めに解散した[13][14][注釈 6]。ウェストとレイングはジャック・ブルースとウェスト、ブルース&レイング(WBL)を結成。パパラルディも自前のバンドにおける活動に移る[要出典]。 ![]() 1973年‐1974年1973年、WBLの日本公演が企画されたが、その直前にブルースが脱退したため[15][注釈 7]、急遽パパラルディが呼ばれ、マウンテンの公演に差し替えられた。この公演はパパラルディとウェストに新メンバーのボブ・マン(キーボード、ギター)とアラン・シュワルツバーグ(ドラムス)を迎えた編成で同年8月に行われ[8]、その模様は1974年2月にライヴ・アルバム『異邦の薫り』として発表された。 その後レイングが復帰して1974年7月にスタジオ・アルバム『雪崩』を発表。国内ツアーも行なわれたが、ウェストとパパラルディの溝は埋まらず、年末に解散となる。 1980年代以降1980年代に入るとウェスト[注釈 8][16]とレイングはマウンテンの活動再開を目論み[17]、パパラルディ[注釈 9]が参加する可能性や名義などについて話し合った[18]。しかしパパラルディは1983年、妻ゲイル・コリンズ[注釈 10]に射殺された[19]。 1985年、ウェストとレイングは元コロシアムのマーク・クラーク(ベース)を迎え、スコッティ・ブラザーズ・レコードの契約を得てマウンテン名義のアルバム『風林火山』を発表した[20][16]。 1994年にはザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのベーシストだったノエル・レディングを迎えて新曲2曲を録音し[21][注釈 11]、ライヴ活動を行なった[22]。その後もウェストを中心に再結成を繰り返している。 2007年、オジー・オズボーン、再結成したオールマン・ブラザーズ・バンドのギタリストのウォーレン・ヘインズをゲストとして迎え、全曲ボブ・ディランのカヴァーで制作した『Masters of War』を発表[23]。2008年には、Fortéのベーシストとして知られるレヴ・ジョーンズを迎えた編成でツアーを行った[24]。 その後ウェストが糖尿病の合併症にかかったので、事実上の活動は2010年頃で停止した。彼は2011年に右足の切断手術を受け、2020年12月23日、心不全により死去した[25]。 ![]() 全盛期のメンバーで唯一存命中のレイングは、コーキー・レイングス・マウンテンを結成してライブ活動を行っている。 メンバー最終ラインナップ
旧メンバー
ディスコグラフィスタジオ・アルバム
ライヴ・アルバム
コンピレーション・アルバム
Official Live Mountain Bootleg Series
関連アルバム日本公演1973年
脚注注釈
出典
引用文献
関連項目外部リンク
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