ディエゴマー・マークウェル
ディエゴマー・レイムンド・マークウェル(Diegomar Raymundo Markwell, 1980年8月8日 - )は、オランダ領アンティルのキュラソー島シャープワイク出身の元野球選手(投手)。左投げ左打ち。 台湾球界での登録名は威爾。 経歴プロ入りとブルージェイズ傘下時代トロント・ブルージェイズと契約を結びプロ入りした。当時、17歳だった[1]。 1997年は傘下ショートシーズンAのセントキャサリンズ・ブルージェイズでプレーした。同年は16試合(11試合で先発)登板し、1勝6敗、防御率4.96、33奪三振を記録した[2]。 1998年も傘下ショートシーズンAのセントキャサリンズでプレーした。同年は17試合(5試合で先発)に登板し、5勝3敗、防御率5.54、40奪三振を記録した[2]。 1999年も傘下ショートシーズンAのセントキャサリンズでプレーした。同年は14試合(13試合で先発)登板し、3勝4敗、防御率7.58、54奪三振を記録した[2]。 2000年は傘下ショートシーズンAのクイーンズ・キングでプレーした。14試合(13試合で先発)登板し、4勝3敗、防御率3.05、66奪三振を記録した[2]。その後、傘下Aのヘイガーズタウン・サンズでプレーした。2試合に登板した[2]。 2001年は傘下Aのチャールストン・アーリーキャッツでプレーした。22試合(21試合で先発)登板し、5勝7敗、防御率3.87、99奪三振を記録した[2]。その後、傘下アドバンスAのダニーデン・ブルージェイズでプレーした。5試合に先発登板し、3勝1敗、防御率3.21、26奪三振を記録した[2]。 2002年は傘下AAのテネシー・スモーキーズでプレーした。同年は28試合(27試合で先発)登板し、13勝9敗1セーブ、防御率4.38、101奪三振を記録した[2]。 2003年は傘下AAのニューヘブン・レイブンズ(現:ニューハンプシャー・フィッシャーキャッツ)でプレーした。同年は28試合(19試合で先発)登板し、5勝7敗、防御率7.04、69奪三振を記録した[2]。同年に解雇された[1]。 ブルージェイズ退団後2004年にはアテネオリンピックのオランダ代表に選出された。この大会以降、オランダ代表の常連となる[1]。 2006年3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオランダ代表に選出された[3]。 台湾球界時代2007年3月9日に台湾の野球リーグである中華職業棒球大聯盟(CPBL)の誠泰コブラズに入団した。 しかし、成績は奮わず、同月29日に退団した。 オランダ球界時代2007年シーズン途中に母国オランダのプロ野球リーグであるホーフトクラッセのDOORネプテューヌスに入団した。同年は13試合に先発登板し、9勝1敗、防御率1.45、62奪三振を記録した[2]。 2008年は15試合に先発登板し、9勝5敗、防御率2.37、51奪三振を記録した[2]。 2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのオランダ代表に選出され[4]、2大会連続2度目の選手となった。 シーズンでは15試合に先発登板し、10勝2敗、防御率1.82、83奪三振を記録した[2]。 2010年は12試合に先発登板し、9勝1敗、防御率1.32、54奪三振を記録した[2]。 2011年は13試合に先発登板し、10勝1敗、防御率1.71、50奪三振を記録した[2]。 オフの9月20日に第39回IBAFワールドカップのオランダ代表に選出された[5]。同大会ではヨーロッパの国としては、1938年大会のイギリス代表以来73年ぶりの優勝を果たした。この栄誉を称えて代表24人全員に「サー」の爵位が贈られ[6]、マークウェルにも贈られた。 2012年は12試合に先発登板し、11勝1敗、防御率1.34、62奪三振を記録した[2]。 2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのオランダ代表に選出され[7]、3大会連続3度目の選出を果たした。 シーズンでは10試合に先発登板し、6勝2敗、防御率1.19、61奪三振を記録した[2]。 オフにはベネズエラのウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルに参加し、レオネス・デル・カラカスに所属した。ここでは、18試合(1試合で先発)登板し、1勝0敗、防御率3.97、8奪三振を記録した[2]。 2014年9月2日に第1回フランス国際野球大会のオランダ代表に選出された[8]。同大会でオランダ代表は初代優勝国となった[9]。大会終了後の12日に、今度は第33回ヨーロッパ野球選手権大会のオランダ代表に選出された[10]。同大会ではオランダ代表が大会の記録である自国の20回の優勝を塗り替える3大会振り21度目の優勝を果たした[11]。 2015年2月17日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の欧州代表に選出された[12][13]。3月11日の第2戦に先発登板し[14]、大島洋平を牽制死するなど[15]、3回を投げ勝利投手となっている[16]。 4月13日に第15回ワールドポート・トーナメントと第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手に選出された[17]。 シーズンでは5月7日のファーセン・ピオニールス戦で、ネプテューヌスでの通算100勝を記録した[18]。6月30日に第15回ワールドポート・トーナメントのオランダ代表に選出された[19]。 オフの10月12日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表候補選手36名に選出され[20]、10月20日に第1回WBSCプレミア12のオランダ代表選手28名に選出された[21]。 2016年1月18日にキューバ代表との強化試合のオランダ代表に選出された[22]が、同試合は雨天中止となった[23]。7月9日に第28回ハーレムベースボールウィークのオランダ代表に選出された[24]。8月25日に第2回フランス国際野球大会のオランダ代表に選出された[25]。9月7日に2016年ヨーロッパ野球選手権大会のオランダ代表に選出された[26]。両大会で優勝を果たした[27]。10月18日に日本代表との強化試合のオランダ代表に選出された[28]。 2017年開幕前の2月7日に同年のアメリカ遠征のオランダ代表に選出された[29]。2月9日に第4回WBCのオランダ代表に選出され、4大会連続4度目の選出を果たした[30]。オフの10月13日にイタリア代表との親善試合である「ヨーロピアン・ベースボール・シリーズ」のオランダ代表に選出された[31]。 2023年5月25日に現役引退を発表。今後はオランダ代表の投手コーチに就任する[32]。 プレースタイルサイド気味のフォームから140km/h前後のストレートとスライダーを中心とした投球が特徴で、他にカーブ、チェンジアップを投げる。 詳細情報年度別投手成績
背番号
代表歴
脚注
外部リンク
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