デクスター・ファウラー
ウィリアム・デクスター・ファウラー(William Dexter Fowler, 1986年3月22日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投両打。愛称はデックス(Dex)[1]。 経歴プロ入りとロッキーズ時代高校卒業時にハーバード大学からはバスケットボール、マイアミ大学からは野球のオファーがあったが、2004年のMLBドラフトでコロラド・ロッキーズから14巡目(全体410位)で指名され、契約金92万5000ドルで入団[2]。 2008年はオールスター・フューチャーズゲームのアメリカ合衆国選抜に選出された。AA級のタルサ・ドリラーズでは打率.335(リーグ2位)・9本塁打・64打点を記録。シーズン途中の8月に北京オリンピックの野球アメリカ合衆国代表に選出された。同大会ではアメリカ合衆国代表は銅メダルを獲得した。9月2日に40人枠入りを果たし[3]、同日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー。 ![]() (2009年8月19日) 2009年は4月27日のサンディエゴ・パドレス戦で新人選手として最多タイとなる5盗塁を記録した[4]。最終的に135試合の出場で打率.266・4本塁打・34打点を記録し、新人選手としてリーグ最多の27盗塁を記録[5]。 2010年3月5日にロッキーズと1年契約に合意。5月31日にAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスへ降格した[6]が、6月29日に再昇格した[7]。この年は132試合に出場し、6本塁打・36打点・13盗塁・打率.260だった。三塁打はリーグ1位の14本を記録した。 2011年3月3日にロッキーズと1年契約に合意[8]。6月7日に故障者リスト入りし[9]、6月20日にリストから外れたが、同日にAAA級コロラドスプリングスへ降格。7月15日に再昇格した[10]。この年は125試合に出場し、5本塁打・45打点・12盗塁・打率.266だった。 2012年1月17日にロッキーズと235万ドルの1年契約に合意[11][12]。この年は143試合に出場し、13本塁打・53打点・12盗塁・打率.300と好成績を残した。打率3割は自身唯一であり、OPSも自己最高の.863であった。 2013年2月11日にロッキーズと総額1160万ドルの2年契約を結んだ[13][14]。この年は119試合に出場し、12本塁打・42打点・19盗塁・打率.263だった。 アストロズ時代2013年12月3日にブランドン・バーンズ、ジョーダン・ライルズとのトレードで、ヒューストン・アストロズに移籍した[15]。 ![]() (2014年4月26日) 2014年オフの11月7日に日米野球2014のMLB選抜選出が発表された[16]。 カブス時代2015年1月19日にルイス・バルブエナ、ダン・ストレイリーとのトレードで、シカゴ・カブスへ移籍した[17]。同年は156試合に出場し、打率こそレギュラーになって以降最低の.250だったが17本塁打・84四球は共に自己ベストで、また20の盗塁を決め、1番打者としての役割は果たした。センターの守備はDRS - 12と例年並みの低い数値だった。11月2日にFAとなった[18]。 ![]() (2016年11月3日) 2016年2月25日にカブスと800万ドル(2年目は年俸900万ドルの相互オプション及び500万ドルのバイアウト付)の1年契約を結んだ[19][20]。シーズンでは前半戦64試合の出場で打率.290、7本塁打という成績だったが、序盤から好調だったカブスへの人気が集まり、外野手部門1位でオールスターゲームに選出されたが、故障のため出場は辞退した。最終的に125試合に出場し、打率.276・13本塁打・48打点、チーム最高の出塁率.393を記録した。また毎年センターの守備指標は芳しくなかったが、この年はDRS + 1を記録と進歩した。ポストシーズン、ワールドシリーズの第7戦で史上初となる先頭打者本塁打を記録した[21]。チームは延長10回の試合に8-7で勝利し、108年ぶりのワールドシリーズ優勝を果たした。ファウラーは2017年の契約オプションを行使せず[22]、11月5日にFAとなった[18]。球団はクオリファイング・オファーを提示した[23]が、11月14日に拒否した[24]。 カージナルス時代2016年12月9日、セントルイス・カージナルスと5年総額8250万ドルで契約を結んだ[25]。 ![]() (2017年6月18日) 2017年は118試合に出場し、打率.264・18本塁打・64打点だった。 2018年はオフにマーセル・オズナが移籍してきたことに伴い、中堅手から右翼手に配置転換された。5月2日のシカゴ・ホワイトソックス戦でルーカス・ジオリトから通算100本塁打を記録した[26]。5月6日のシカゴ・カブス戦では延長14回裏に自身初のサヨナラ本塁打を放った[27]。8月3日のピッツバーグ・パイレーツ戦で左足を痛め途中交代すると、骨折が判明し[28]、8月13日に60日間の故障者リストに入った[29]。以後出場はなく、最終的に90試合の出場で、打率.180・8本塁打・31打点の低調な成績に終わった。 エンゼルス時代2021年2月4日に後日発表選手または金銭とのトレードで、ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍した[30]。残り1年1450万ドルの契約のうち、カージナルスが1275万ドルを負担するという形での放出となった[31]。外野の戦力として期待されたが、開幕直後の4月9日の試合で走塁中に左膝前十字靭帯断裂の重傷を負い[32]、残りのシーズンを欠場した。オフにFAとなった。 ブルージェイズ傘下時代2022年3月30日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ[33]。5月3日に自ら自由契約を志望し、退団した[34]。 引退後2023年1月31日、自身のSNS上において現役引退を発表した[35][36]。6月24日と6月25日にカージナルスとカブスのライバル対決でロンドンにて開催された公式戦のロンドンシリーズに両チームのOBとして参列し、アルバート・プホルスと共に始球式を務めた[37]。 選手としての特徴通算盗塁成功率は68%ほどで高くはない。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia