デスライク・サイレンス・プロダクション
デスライク・サイレンス・プロダクション (Deathlike Silence Productions)は、ノルウェー・オスロにあったインディーズレコード・レーベル。DSPと略されることもある。1980年代後半にメイヘムのギタリスト、ユーロニモス (オイスタイン・オーシェト)によって設立された。ユーロニモスがヴァルグ・ヴィーケネスに刺殺される1993年まではユーロニモスによって経営されていたが、ユーロニモスの死後も少しの間存続した。ノルウェーのレーベル、ヴォイシズ・オヴ・ワンダー (現:ヴォイシズ・ミュージック・アンド・エンターテイメント)がディストリビュートしていた。しかし、レーベル自体は既に消滅しており、結局リリースしたのは9枚の作品のみである[2]。ただし、中には現在再発されているCDでもデスライク・サイレンス・プロダクションのリリースとされ、規格品番もデスライク・サイレンス・プロダクションの物を用いているものがあるが、前述のようにデスライク・サイレンス・プロダクション自体は既に消滅している。規格品番は、イギリスのイヤーエイク・レコードの規格品番『MOSH』に対抗して、『ANTI-MOSH』であった。これは、ユーロニモスがアンダーグラウンド主義であったことなどが起因しているとされる。 デスライク・サイレンス (Deathlike Silence)の名前は、ソドムが1986年にリリースした1stアルバム『Obsessed by Cruelty』に収録された楽曲、『Deathlike Silence』から派生した。 当初はノルウェーのバンドとのみ契約していたが、1990年初めにはスウェーデンのバンドとも契約するようになり、1993年頃には更に広い外国のバンドとも契約するようになった。ユーロニモスは死の直前には、ギリシャのロッティング・クライスト、コロンビアのマサカー、ペルーのHadez、イスラエルのサレムとの契約を検討していた。また、レーベルが消滅する直前にはイタリアのゴシックメタルバンド、Monumentumのデビューアルバム『In Absentia Christi』のリリースも計画されていた。 日本のブラックメタルバンド、Sighは、1stアルバム『Scorn Defeat』をデスライク・サイレンス・プロダクションからリリースしている。このアルバムは非スカンディナヴィア出身バンドの作品としては、デスライク・サイレンス・プロダクションからリリースされた唯一の作品であった。 リリースリスト
脚注関連項目 |
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