デビッド・ロリンズ
デビッド・ドウェイン・ロリンズ(David Dwane Rollins, 1989年12月21日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州パノラ郡デベリー出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。MLB・シカゴ・カブス傘下所属。 経歴プロ入り前2008年のMLBドラフト19巡目(全体577位)でロサンゼルス・ドジャースから指名されたが、サンジャッキント大学へ進学した。 2009年のMLBドラフト23巡目(全体683位)でシアトル・マリナーズから指名されたが、サンジャッキント大学ノースキャンパスへ編入した。 2010年のMLBドラフト46巡目(全体1392位)で再びマリナーズから指名されたが、契約には至らなかった。 プロ入りとブルージェイズ傘下時代2011年のMLBドラフト24巡目(全体739位)でトロント・ブルージェイズから指名され、6月20日に契約した[1]。契約後、傘下のアパラチアンリーグのルーキー級ブルーフィールド・ブルージェイズでプロデビュー。4試合に先発登板して3勝0敗・防御率1.25・18奪三振の成績を残した。7月にA-級バンクーバー・カナディアンズへ昇格。3試合に先発登板して1勝0敗・防御率2.57・11奪三振の成績を残した。 2012年はA級ランシング・ラグナッツでプレーし、18試合に先発登板して6勝1敗・防御率2.76・75奪三振の成績を残した。 アストロズ傘下時代2012年7月20日にJ.A.ハップ、デビッド・カーペンター、ブランドン・ライオン、後日発表選手[2]とのトレードで、フランシスコ・コルデロ、ベン・フランシスコ、ジョー・マスグローブ、アッシャー・ウォジェハウスキー、カルロス・ペレスと共にヒューストン・アストロズへ移籍した[3]。移籍後は傘下のA級レキシントン・レジェンズでプレーし、6試合に登板して1勝3敗・防御率3.48・25奪三振の成績を残した。 2013年はまずA+級ランカスター・ジェットホークスでプレーし、23試合(先発14試合)に登板して8勝5敗3セーブ・防御率3.98・96奪三振の成績を残した。7月にAAA級オクラホマシティ・レッドホークスへ昇格し、1試合に登板。8月からはAA級コーパスクリスティ・フックスでプレーし、6試合に先発登板して0勝3敗・防御率4.36・33奪三振の成績を残した。 2014年はAA級コーパスクリスティでプレーし、27試合(先発12試合)に登板して3勝4敗1セーブ・防御率3.81・77奪三振の成績を残した。 マリナーズ時代2014年12月に行われたルール・ファイブ・ドラフトでマリナーズから指名され、移籍した[4]。 2015年3月27日に薬物検査で禁止薬物のスタノゾロールが検出され、80試合の出場停止処分を受ける[5]。6月18日に処分が明けると、7月4日にメジャー昇格を果たし、同日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー[6]。以後、比較的コンスタントに出番を得て20試合に登板したが、25.0イニングで37本のヒットを浴びて大量失点し、0勝2敗・防御率7.56・WHIP1.80と結果を残せなかった。 2016年は、11試合のリリーフ登板に留まった。同年、メジャー初勝利を挙げたが、防御率7.71とWHIP2.04はいずれも前年から悪化し、投球内容としては成長の跡を示す事が出来なかった。マイナーのAAA級タコマ・レイニアーズでは37試合に登板し、防御率3.77・5勝無敗・WHIP0.99と結果を残しており、与四球率も1.2と制球力の良さも発揮した。 カブス傘下時代2016年11月18日、ウェイバー公示を経てシカゴ・カブスに、11月22日に同じくウェイバー公示を経てテキサス・レンジャーズに、12月2日に同じくウェイバー公示を経てフィラデルフィア・フィリーズに、12月21日に同じくウェイバー公示を経て再びレンジャーズに、12月23日に同じくウェイバー公示を経て再びカブスに移籍した。 2016年2月8日にDFAとなった後、13日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級アイオワ・カブスへ配属された[7]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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