ブランドン・ライオン
ブランドン・ジェームズ・ライオン(Brandon James Lyon, 1979年8月10日 - )は、アメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴ブルージェイズ時代1999年、MLBドラフト14巡目(全体433位)でトロント・ブルージェイズから指名され、2000年3月31日に入団。 2001年8月4日のボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。7.1回を投げ1失点に抑え、初勝利を挙げた。球団史上2番目の若さだった。11試合で先発し5勝4敗、防御率4.29だった。 2002年はライオンにとっては困難なシーズンとなった。開幕を先発ローテーションで迎えたものの4月10日のニューヨーク・ヤンキース戦と6月10日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で共に7失点するなど不振だった。その1か月後には先発から外され、リリーフへ回された。リリーフ投手としてのデビューはフェンウェイ・パークでのボストン・レッドソックス戦で3回1/3を投げた。リリーフでは5試合に投げ、勝敗無しで防御率は5.19だった。 レッドソックス時代2002年10月9日にウェーバー経由でボストン・レッドソックスへ移籍した。レッドソックスではリリーフに専念し、2003年は49試合に投げ4勝6敗9セーブ、防御率4.12だった。7月22日にトレードでピッツバーグ・パイレーツへ移籍。7月31日にトレードでレッドソックスへ復帰した。 ダイヤモンドバックス時代2003年11月28日にカート・シリングとのトレードでケイシー・フォッサムやホルヘ・デラロサ、マイケル・ゴスと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍。 2004年は怪我でシーズンを全休した。 2005年は怪我のホセ・バルベルデに代わってクローザーを務め、15セーブ機会中14回成功するなど活躍を見せたが、このシーズンも怪我の為に後半戦のほとんどを棒に振ってしまった。 2006年は怪我から完全に立ち直り68試合に登板し2勝4敗、防御率3.89と活躍した。 2007年も引き続き好調を持続、キャリア最多の73試合に登板し6勝4敗、防御率2.68とさらに好結果を残し、バルベルデに繋ぐセットアップマンとしてチームの地区優勝に大きく貢献した。 2008年はバルベルデがトレードでヒューストン・アストロズへ移籍した為、開幕からクローザーの座に就いている。11月3日にFAとなった。 タイガース時代![]() (2009年9月13日) 2009年1月24日、デトロイト・タイガースと425万ドル+出来高50万ドルで1年契約。前年に引退したクローザートッド・ジョーンズの後継者としての働きを期待される。同年は、セットアッパーとして65試合に登板、防御率2.86、6勝5敗3セーブ、15ホールドの好成績を残す。11月9日にFAとなった。 アストロズ時代2009年12月12日にヒューストン・アストロズと3年総額1500万ドルで契約。 ブルージェイズ復帰![]() (2012年9月1日) 2012年7月21日、計10人が絡む大型トレードにより古巣ブルージェイズへ10年ぶりの復帰。10月29日にFAとなった。 メッツ時代2013年2月7日にニューヨーク・メッツと契約を結んだ[1]。7月9日に放出された。 レッドソックス傘下時代2013年7月19日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。8月1日にFAとなった。 エンゼルス傘下時代2014年2月10日に、ロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ[2]。AAA級ソルトレイク・ビーズで20試合にリリーフ登板したが、0勝6敗、防御率4.08の成績に終わり、5月20日にFAとなった。 年度別投手成績
脚注
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