デフェンソール・スポルティング
デフェンソール・スポルティング・クラブ(スペイン語: Defensor Sporting Club)はウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とするスポーツクラブである。この記事では、主にデフェンソール・スポルティングのサッカーチームについて説明する。 概要クラブ創設は1913年。ラプラタ川沿岸の高級エリアであるモンテビデオのプンタ・カレータス(Punta Carretas)地区を本拠地としている。 ペニャロールとナシオナルの2強体制が続くウルグアイリーグにおいて、近年はダヌービオと並んで3番手のクラブと見なされている。ダヌービオとの対戦はクラシコ・デ・ロス・メディアーノス(Clásico de los Medianos)と呼ばれている[注釈 1]。 2019シーズン終了時点で、プリメーラ・ディビシオン優勝回数は4回で、ペニャロール、ナシオナルに次いで3位タイである。プリメーラ・ディビシオン在籍年数はナシオナル、ペニャロール、ワンダラーズに次いで4番目に長い。 コパ・リベルタドーレスには16回出場しており、最高位は2014年のベスト4である。 歴史1913年3月15日にデフェンソール・フットボール・クラブ(Defensor Football Club)として創設。その後、一度は解散するが、1922年にクラブ・アトレティコ・デフェンソール(Club Atlético Defensor)として再結成した。1989年、バスケットボールを主体とするスポルティング・クラブ・ウルグアイ(Sporting Club Uruguay)と合併して、現在のデフェンソール・スポルティング・クラブ(Defensor Sporting Club)となった。 1913シーズンにディビシオナル・エクストラA(3部)に参加。翌1914シーズンにセグンダ・ディビシオンに昇格、さらに翌1915シーズンにはプリメーラ・ディビシオンに昇格を果たした。1915シーズンは、10クラブ中4位というまずまずの成績を残した。しかし2年後の1917シーズンを最下位で終え、セグンダ・ディビシオンへの降格が決まると、デフェンソールFCはクラブを解散した。 1922年末、ペニャロールとセントラル(現在のセントラル・エスパニョール)がウルグアイサッカー協会(AUF)を脱退してウルグアイサッカー連盟(FUF)を設立した。これを機に、CAデフェンソールとして再結成して1923シーズンからFUF主催の国内リーグ[注釈 2]に参加した。その後、AUFとFUFの再統合を経て再開された1927シーズンから、デフェンソールとしては10年ぶりにAUF主催の国内リーグに復帰した。 1927シーズン以降、2部で過ごした1950シーズン・1965シーズン・2021シーズンを除いて、常に1部リーグに在籍している。 1976シーズンには、守備的な戦術を採用したリカルド・デ・レオン監督の下でリーグ初優勝を飾り、1932年にプロリーグ化されて以降、初めてペニャロールとナシオナル以外の優勝クラブ[注釈 3]となった。翌1977年にはコパ・リベルタドーレスに初出場を果たした。 その後も、1987シーズン、1991シーズン、2007-08シーズンとプリメーラ・ディビシオンを制している。2007年9月には、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)によって世界月間最優秀クラブに選出された。 2014年のコパ・リベルタドーレスでは過去最高のベスト4に進出した。5ゴールを決めて得点王になったデフェンソールのニコラス・オリベラが大会MVPも獲得した。 2022年、1回目の開催となったコパ・AUF・ウルグアイでは初代王者に輝いた[3]。 スタジアムモンテビデオのロド公園に所在するエスタディオ・ルイス・フランシーニ(Estadio Luis Franzini)をホームスタジアムとしている。ルイス・フランシーニは、30年以上にわたりクラブの会長を務めた人物の名前である。 スタジアムは1963年にオープン。1998年に改築された。16,000人収容。クラブが自ら所有している。 コパ・リベルタドーレスやコパ・スダメリカーナなどの国際大会では、デフェンソール以外のクラブが使用することもある。2015年のコパ・リベルタドーレスではダヌービオ対コリンチャンス、ダヌービオ対サンパウロの2試合が行われている。 下部組織デフェンソールの下部組織は優れた選手を多く輩出している。後にウルグアイ代表やヨーロッパ5大リーグで活躍した選手も多い。 ホルヘ・ダ・シルバ、セルヒオ・マルティネス、セバスティアン・アブレウ、アンドレス・フレウリキン、マルセロ・テヘラ、ダリオ・シルバ、ゴンサロ・バルガス、ディエゴ・ペレス、ニコラス・オリベラ、マルティン・カセレス、マクシ・ペレイラ、アルバロ・ゴンサレス、タバレ・ビウデスなどが、デフェンソールの下部組織からトップチームを経て海外の有力クラブに移籍している。 ユニフォームホームカラー アウェイカラー タイトル国内タイトル
国際タイトルなし 歴代監督
歴代所属選手→詳細は「Category:デフェンソール・スポルティングの選手」を参照
DF
MF
FW
サッカー以外の競技デフェンソール・スポルティングは、サッカー以外にもバスケットボール、陸上競技などの競技チームを保有している。特にバスケットボールチームは国内外の大会で大きな成功を収めている。 バスケットボールデフェンソール・スポルティングの前身の1つであるスポルティング・クルブ・ウルグアイのバスケットボールチーム(Sporting Club Uruguay、1912年設置)を引き継いでいる。創設以来、現在に至るまで同国を代表する強豪クラブである。国内リーグのトップカテゴリーであるリーガ・ウルグアージャ・デ・バスケトボル(Liga Uruguaya de Básquetbol、2003年創設)に所属。 古くからの強豪で、リーガ・ウルグアージャの前身のカンペオナート・フェデラル(Campeonato Federal、1915年-2003年)時代には、最多となる18回の優勝を遂げた。 国際大会でも活躍しており、南米クラブ選手権(Campeonato Sudamericano de Clubes Campeones)で2回、リオプラテンセ選手権(Campeonato Rioplatense)で5回の優勝を記録している。
陸上競技デフェンソール・スポルティングの前身の1つであるスポルティング・クルブ・ウルグアイの陸上競技チームを引き継いでいる。 1910年に9月14日にクルブ・ペデストレ・イ・アトレティコ・デル・ウルグアイ(Club Pedestre y Atlético del Uruguay)として創設。1912年のバスケットボールチームの設置に伴いスポルティング・クルブ・ウルグアイに改称した。 脚注
外部リンク
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