セバスティアン・アブレウ
ワシントン・セバスティアン・アブレウ・ガージョ(Washington Sebastián Abreu Gallo, 1976年10月17日 - )は、ウルグアイ・ミナス出身の元サッカー選手。元ウルグアイ代表。現役時代のポジションはフォワード。所属クラブ数のギネス世界記録(31クラブ)を保持するジャーニーマンとして知られている[2][3]。 選手経歴クラブ母国ウルグアイのデフェンソールでプロ選手となり、アメリカ大陸の5ヶ国(ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、エクアドル)とスペイン、イスラエル、ギリシャでプレー経験を持つ。1998年1月、アルゼンチンのCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロからスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍すると、直後の1月25日のFCバルセロナ戦で得点した。しかしデポルティーボに在籍時は他クラブへのレンタル移籍を繰り返した。 その後はメキシコやアルゼンチンでプレーしていたが、2008年夏、長い交渉の末にイスラエルのベイタル・エルサレムFCに移籍。2008-09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選に参戦したが早々に敗退し、国内リーグ戦には出場できなかった。2008年9月にはベイタルとの契約を破棄して、アルゼンチンのCAリーベル・プレートと2009年1月までの契約を結びなおした。しかし契約の関係で国内リーグ戦には出場できず、南米カップ戦のみの出場となった。2009年1月、スペイン・セグンダ・ディビシオン(2部)のレアル・ソシエダに移籍し、10年ぶりにスペインへ戻った。2009年6月13日にはギリシャのアリス・テッサロニキに移籍した。2010年1月にブラジルのボタフォゴに移籍した。 2016年1月8日、リーガ・パラグアージャのクルブ・ソル・デ・アメリカと1年契約を結んだ[4]。同年末にはバングーACと契約、これが通算28度目の移籍となり、ルッツ・ファンネンシュティールの持つ記録(25回)を上回ってギネス記録に認定された[2]。 2017年4月3日、セグンダ・ディビシオン・プロフェシオナルのセントラル・エスパニョールFCに加入し母国へ復帰した[5]。2017-18シーズンよりプリメーラBデ・チレ(チリ2部)のデポルテス・プエルト・モントへ移籍することが発表された[6]。 2017年12月、チリ1部のアウダックス・イタリアーノへ移籍し、歴代所属クラブ数の記録を26に伸ばした。これにより、ルッツ・ファンネンシュティールの記録(25回)を抜いてギネス世界記録を更新した[7]。 2021年2月3日、カンピオナート・ミネイロ(ミナスジェライス州選手権)のアスレティック・クラブに短期契約で移籍し[8]、その後、母国のスド・アメリカに移籍して歴代所属クラブ数の記録を31に伸ばした[9]。同年6月11日のリベルプールFC戦をもって現役を引退[3]。 代表1996年7月17日、チリ戦でウルグアイ代表としてデビューした。 2002年のW杯日韓大会や、1997年と2007年のコパ・アメリカに出場している。 W杯南アフリカ大会南米予選では先発出場が1試合のみで、途中出場時も含めて得点はなかったが、コスタリカとの大陸間プレーオフでは、ホームでの第2戦で65分にルイス・スアレスとの交代でピッチに立ち、その5分後にヘディングで貴重な先制点を奪って本大会出場に貢献した。ルイス・スアレスやエディンソン・カバーニの控えとして本大会に臨み、グループリーグ初戦のフランス戦、準々決勝のガーナ戦、準決勝のオランダ戦、3位決定戦のドイツ戦の4試合に途中出場した。PK戦までもつれたガーナ戦では5番手のキッカーとして登場し、プレッシャーのかかる場面でチップキックを決めて勝ち抜けを決めた[10]。 代表通算26ゴールは、ウルグアイ代表の歴代7位の記録である。 引退後2019年12月、ウルグアイ・プリメーラ・ディビシオン2020シーズンに先立ち、ボストン・リーベルの選手兼任監督に任命された[11]。 代表歴出場大会試合数
タイトルクラブ
代表
脚注
外部リンク
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