デライノ・デシールズ・ジュニア
デライノ・ディアーブ・デシールズ・ジュニア(Delino Diaab DeShields Jr., 1992年8月16日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州カレッジパーク出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。 愛称はポッパ[2]。父はメジャー通算463盗塁のデライノ・デシールズ[3]で、妹はWNBA選手のダイヤモンド・デシールズ[4]。 経歴プロ入り前高校時代はアメリカンフットボールのランニングバックとしても注目を集める存在だった[5]。 プロ入りとアストロズ傘下時代![]() (2014年7月13日) 2010年のMLBドラフト1巡目(全体8位)でヒューストン・アストロズから指名され、同年8月5日に契約金215万ドルで入団した[6]。 2011年に中堅手から父と同じ二塁手へ転向。この年はA級レキシントン・レジェンズでプレーしたが、打率.220と打撃が振るわなかった[3]。 2012年は打撃が改善されて出塁が増え、A級レキシントンで83盗塁(111試合)、A+級ランカスター・ジェットホークスで18盗塁(24試合)の合計101盗塁(135試合)を記録した。これはビリー・ハミルトンの155盗塁に次いでマイナー2位の数字であった[3]。 レンジャーズ時代2014年11月にルール・ファイブ・ドラフトでテキサス・レンジャーズへ移籍した[7]。 2015年4月8日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビューを果たし、ダン・オテロから内野安打を放ちメジャー初安打を記録した[8]。以後、中堅手のレギュラーポジションを獲得し、レギュラーシーズン終了まで121試合に出場。打撃面では打率.261、2本塁打、37打点、出塁率.344という成績を残したほか、アメリカンリーグ5位タイの25盗塁を決め、父親譲りのスピードを早速発揮した。また、得点圏では打率.304とよく打った[9]。他方で守備面では中堅を87試合、左翼手を35試合で守ったが、それぞれ5失策と1失策、守備率.976と.981、DRS-10と+1という成績に留まり、平均以下の成績であった。全体的な活躍が評価され、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではア・リーグ7位にランクインした[10]。 ![]() (2017年3月12日) 2016年、レギュラーの座は手中に出来ず、控えとして74試合に出場。打率.209、4本塁打、13打点、8盗塁という成績を残した。 インディアンス時代2019年12月15日にコーリー・クルーバーとのトレードで、エマヌエル・クラセと共にクリーブランド・インディアンスへ移籍することが発表された[11]。 2020年オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[12]。 レンジャーズ傘下時代2021年2月1日に古巣のレンジャーズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[13]。 レッドソックス傘下時代2021年8月5日に金銭とのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[14]。移籍後は傘下のAAA級ウースター・レッドソックスへ送られた。 レッズ時代2021年8月31日にウェイバー公示を経て父デライノがコーチを務めるシンシナティ・レッズへ移籍し、翌日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[15][16]。オフの10月7日にマイナー契約となり、11日に自由契約となった[17][18]。 ブレーブス傘下時代2022年3月18日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだが[19]、4月3日に自由契約となった[20]。 2022年4月8日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[19]。この年はメジャー昇格の機会がなく、11月10日にFAとなった[19]。 マリナーズ傘下時代2023年3月18日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだが[19]、AAA級タコマ・レイニアーズで12試合に出場して打率.222、本塁打0、2打点という成績に終わり、5月1日に自由契約となった[19]。 独立リーグ時代2023年5月7日にアメリカン・アソシエーションのクリーバーン・レイルローダーズと契約した[21]。6月28日に自由契約となった[22]。 2024年はアトランティック・リーグのチャールストン・ダーティーバーズでプレーした。 2025年はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのピラータス・デ・カンペチェに所属。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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