トゥヴァ共和国
![]() トゥヴァ共和国(トゥヴァきょうわこく、Республика Тыва、トゥバ共和国、トゥーヴァ共和国とも)は、アジアの中央部に位置し、ロシア連邦を構成する共和国の1つ。1990年12月12日、トゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国はトゥヴァソビエト最高会議第7会議で国家主権宣言を採択し、1991年11月に独立を宣言した[2]。国歌は「我、トゥヴァ人なり」。 東はブリヤート共和国、南はモンゴル国、西はアルタイ共和国、北西はハカス共和国、北はクラスノヤルスク地方、北東はイルクーツク州と接している。 地理![]() 北はサヤン山脈によってハカス共和国、クラスノヤルスク地方と接し、南はほぼタンドゥ山脈(トゥバ語: Таңды-Уула)によってモンゴル国と接する。 国内を流れるほとんどの河川はエニセイ川の水系である。主要河川はウルグ=ヘム川(トゥバ語: Улуг-Хем、上エニセイ河)と、その左岸支流のヘムチク川(トゥバ語: Хемчик)である。さらに上エニセイ川は、クズル市で合流するビー=ヘム川(トゥバ語: Бий-Хем、Bii-Khem、大エニセイ川)とカー=ヘム川(トゥバ語: Каа-Хем、Kaa-Khem、小エニセイ川)よりなっている。共和国には多くの湖が存在する。 サヤン山脈と、タンドゥ山脈に挟まれた大きな盆地ともいえる地勢で、「盆地」の平均標高はほぼ1000m。最低標高は、ウルグ=ヘム川(上エニセイ河)がクラスノヤルスク地方に流出する550mで、最高地点は3,976mのムンギュン・タイガ山(トゥバ語: Мөңгүн-Тайга - Silver Mountain)である。 標準時
行政区画![]() 直轄地が2都市と17地区からなる。
歴史→詳細は「en:History of Tuva」を参照
この地域は、清代のタンヌ・ウリャンハイ(漢字表記:唐努烏梁海)に相当する地域で、元滅亡後はオイラトのジュンガル・ホンタイジ国とホトゴイドのハルハのアルタン・ハン国に支配される複雑な歴史を送ってきた[要出典]。 清代になると、オイラトと東モンゴルを支配するハルハに対して清がタンヌ・ウリャンハイを巡って争った[要出典]。 1755年に乾隆帝がジュンガル・ホンタイジ国を滅亡させて、清がタンヌ・ウリャンハイを併合した。しかし、緩衝国となっていたジュンガルが無くなったことでロシアの進出が始まった[要出典]。 1727年のキャフタ条約を切っ掛けに、清朝が国境警備兵をサヤン山脈からタンドゥ山脈(トゥバ語: Таңды-Уула)に移していた[要出典]。 1839年になるとロシア帝国がこの地域に入植を開始し、サヤン山脈に2つの金鉱山を開いた[要出典]。それでも1911年の辛亥革命まで名目上は清の領土であったが、ロシア帝国はトゥバ人の分離主義運動を扇動しトゥバを形式的に独立させた[要出典]。1914年、ロシアの保護領とした[3](ウリャンハイ地方)。 ![]() 1917年のロシア革命に伴う混乱は、トゥバを再び独立させた[要出典]。 1921年に、ロシア共産党によって一般的にはタンヌ・トゥバと呼ばれているトゥバ人民共和国(露:Тувинская Народная Республика)が建国された[要出典]。 トゥバ人民共和国は、1944年にソビエト連邦に自治州として編入され、1961年10月にはトゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国として自治共和国に昇格した[3]。 1991年12月25日にソ連が崩壊しロシア連邦が成立すると、トゥヴァ共和国にロシア共和国から独立権を得ていたが、ロシア連邦に加盟するという意向となり、ロシア連邦の構成国になることとなった[要出典]。 1992年3月31日にトゥバ共和国はロシア連邦条約に調印し、ロシア連邦の連邦構成主体となってからは、共和国の名称もロシア語表記の Туваからトゥバ語表記の Тываに変更された[要出典]。 2022年ロシアのウクライナ侵攻が始まるとトゥヴァ共和国出身の兵士がウクライナに向かい、多くの負傷者、戦死者を出した[4]。 中華民国は、現在でもトゥバが自国領であると主張しており、最近まで発行されていた官製の「中華民国全図」には、自国領として中華人民共和国統治区域・モンゴル国などに加えトゥバが含まれていた。当時の地図では「唐努烏梁海」という表記であった[要出典]。 政治政府議長(元首格)は、ヴラディスラフ・ホバルグ(2021年就任)。かつては首相職も設置されていたが1992年に廃止されている[5]。 経済
![]() 産業主要産業は鉱工業であり、他に金属加工や食品工業、林業、畜産、毛皮獣捕獲などがある。工業生産の大部分は首府クズルとアク=ドブラクに集中している。 資源非鉄金属、希金属、石炭、アスベスト、鉄鉱、金、銅、イリジウム、雲母、岩塩、グラファイト、大理石、マグネサイト、硫黄 教育機関大学観光名所・旧跡文化
民族2021年の国勢調査[1]によると、居住する民族の割合はトゥバ人88.7%、ロシア人10.1%、ハカス人0.1%、その他1.1%となっている。ロシア国内で最も合計特殊出生率が高い地域であり、2014年の出生率が3.49人となっている。 その他![]()
脚注出典
参考文献
関連文献
関連項目外部リンク
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