トミー・ジョゼフ
トーマス・リチャード・ジョゼフ(Thomas Richard Joseph, 1991年7月16日 - )は、アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。現在は、MLBのボルチモア・オリオールズの打撃コーチ補佐を務める。 愛称はトジョ(ToJo)[1]。 経歴プロ入りとジャイアンツ傘下時代2009年のMLBドラフト2巡目(全体55位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、プロ入り。当時のポジションは捕手だった。 2010年、傘下のA級オーガスタ・グリーンジャケッツでプロデビュー。117試合に出場して打率.236、16本塁打、68打点を記録した。 2011年はA+級サンノゼ・ジャイアンツでプレーし、127試合に出場して打率.270、22本塁打、95打点、1盗塁を記録した。 2012年はAA級リッチモンド・フライングスクウォーレルズでプレーし、7月に行われたAA級のオールスターのメンバー(イースタンリーグ)に選出された。 フィリーズ時代2012年7月31日にハンター・ペンスとのトレードで、ネイト・シャーホルツ、セス・ロジンと共にフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[2]。移籍後は傘下のAA級レディング・フィリーズへ配属され、移籍前を含めた2チーム合計で108試合に出場して打率.257、11本塁打、48打点を記録した。オフにはアリゾナ・フォールリーグに参加し、ピオリア・ハベリーナズに所属した。 2013年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・フィリーズ、A+級クリアウォーター・スレッシャーズ、AA級レディング・ファイティン・フィルズ[注 1]、AAA級リーハイバレー・アイアンピッグスでプレーし、4チーム合計で36試合に出場して打率.179、3本塁打、16打点を記録した。オフの11月20日にルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠入りした[3]。 2014年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・フィリーズとAA級レディングでプレーし、2チーム合計で27試合に出場して打率.276、5本塁打、20打点を記録した。 2015年より一塁手に転向した。この年はルーキー級ガルフ・コーストリーグ・フィリーズとAAA級リーハイバレーでプレーし、2チーム合計で58試合に出場して打率.241、6本塁打、28打点を記録した。 2016年の開幕はAAA級リーハイバレーで迎え、5月13日にメジャー初昇格を果たした[4]。同日のシンシナティ・レッズ戦でメジャーデビューすると、17日のマイアミ・マーリンズ戦ではメジャー初本塁打を放った[5]。以後、一塁手のレギュラー格に定着して107試合に出場すると、打率.257、21本塁打、47打点、1盗塁を記録した。また、Topps ルーキーオールスターチーム(一塁手部門)に選ばれた。 2017年は142試合に出場して打率.240、22本塁打、69打点、1盗塁を記録した。 2018年3月12日にジェイク・アリエータの加入に伴い、DFAとなった[6]。 レンジャーズ傘下時代2018年3月19日にウェイバー公示を経てテキサス・レンジャーズへ移籍した[7]。3月29日にDFAとなり[8]、4月2日にマイナー契約となって傘下のAAA級ラウンドロック・エクスプレスへ降格した[9]。 LG時代2018年11月28日にKBOのLGツインズと契約した[10]。2019年は開幕から試合に出場して打率.274、9本塁打、36打点を記録した。7月10日にウェイバー公示され、17日に自由契約となった[11]。 レッドソックス傘下時代2019年8月5日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。移籍後は傘下のルーキー級ガルフ・コーストリーグ・レッドソックスとAA級ポートランド・シードッグスでプレーし、2チーム合計で15試合に出場して打率.263、1本塁打、7打点を記録した。 2020年はCOVID-19の影響でマイナーリーグの試合が開催されなかったため、レッドソックス傘下での公式戦の出場は無かった。そのため、この年は独立リーグであるコンステレーション・エナジー・リーグに所属するチーム・テキサスでプレーし、4試合に出場して打率.333、1本塁打、2打点を記録した。オフの11月2日にレッドソックスからFAとなった[8]。 引退後2021年にはニューヨーク・メッツ傘下のA級セントルーシー・メッツの打撃コーチに就任し[12]、1年間務めた。 2022年にはメッツ傘下のAA級ビンガムトン・ランブルポニーズの打撃コーチに就任し[13]、1年間務めた。 2023年にはジャイアンツ傘下のA+級ユージーン・エメラルズ[注 2]の打撃コーチに就任し[14]、1年間務めた。 2024年にはシアトル・マリナーズの打撃コーチ補佐に就任し[15]、1年間務めた。 2025年シーズンからはボルチモア・オリオールズの打撃コーチ補佐を務める[16]。 プレースタイル打撃では、マイナーリーグで10代の頃に2年連続16本塁打以上を放った実績がある[17]。左右別では左投手を得意にしており、対右が打率.248、OPS0.774に対し、対左は同.281、0.912である[18]。また、初球に強く打率.359、4本塁打、11打点、OPS1.077という成績を記録している (左右別も、いずれも2016年) [19]。 守備面では、元々は捕手だったが、ファウルチップによる脳震盪の影響でポジションを変わり、一塁手となった[20]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
表彰
記録
背番号
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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