トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場
トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場(トヨタモビリティとやま ジースクエアごふくまえ(ごふくすえひろちょう)ていりゅうじょう)は、富山県富山市五福末広町にある、富山地方鉄道富山軌道線(呉羽線)の路面電車停留場である。 富山県道44号富山高岡線上の併用軌道に設置されている。駅番号はC21[3]。 本項目では、1980年(昭和55年)4月1日に廃線となった同社射水線の新富山駅(しんとやまえき)についても併せて記述する。 歴史当停留場は富山大橋の西岸側に設置されたことから開業当初は新大橋西詰停留場とされた。その後、1926年(大正15年)に越中電気軌道(後の射水線)が当地まで延伸して聯隊橋駅(れんたいばしえき)を開業し、市電と接続した。聯隊橋駅が1934年(昭和9年)に新富山駅に改称されると、市電停留場も1937年(昭和12年)に富山大橋西詰停留場(この名称になった時期は不明)から新富山駅前停留場に改められた。新富山駅前停留場と射水線新富山駅を結ぶ連絡線も建設され直通運転も実施された。市内線と射水線との連絡線は、川の土手下に敷設された射水線との高低差の関係で、急勾配となっていた[4]。なお、未成となった速星線は新富山駅を起点とする計画であり、子会社の加越能鉄道が建設する予定だった加越能高速鉄道も新富山駅を通る計画だった。 1980年(昭和55年)に射水線が廃線となり新富山駅が廃止されると、停留場は「駅前」を外して新富山停留場に改称された。 2006年(平成18年)11月より富山県道44号富山高岡線の神通川に架かる先代の富山大橋の老朽化による架け替えで4車線化、軌道の複線化が進められていたが、2012年(平成24年)3月24日に新しい富山大橋が開通した。それに伴い停留所を上屋つきの相対式2面2線とし、約120 m西方(大学前寄り)の五福交差点東詰へ移設し供用を開始した。 2010年代以降の駅名改称2015年(平成27年)2月2日、富山地方鉄道と富山市は、同年3月14日より停留場名を新富山停留場から「富山トヨペット本社前(五福末広町)停留場」に改称すると発表した[5][6]。命名権(ネーミングライツ)を導入し、停留場そばに本社が置かれていた富山トヨペットが命名権者となり改称した[7][8][9][10]。 この改称により、読み仮名数が24文字[7][9][10][11][12]、表記数が17文字となり日本一長い駅名となっていたが[7][9][13]、2020年(令和2年)3月20日に京福電気鉄道北野線の等持院駅が等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅に改称されたことで同駅の読み仮名数が26文字となり日本一ではなくなった[7][8][9][10][11][13][PRESS 1]。 その後、富山トヨペットが企業統合によりトヨタモビリティ富山に社名変更したことと、本社移転[PRESS 2]により当停留場が本社の最寄り停留場ではなくなったことから、当停留場は2021年(令和3年)1月1日に「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)停留場」に再度改称された[PRESS 3][14]。改称後の停留場名は読み仮名数が32文字[7][8][9][15]となり、約9か月ぶりに「日本一長い駅名」に返り咲いた。表記数も26文字(「山」と「G」の間のスペースを除くと25文字[7][8][15])となり、前述の等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅や舞浜リゾートラインディズニーリゾートラインの東京ディズニーランド・ステーション駅、リゾートゲートウェイ・ステーション駅などを抜いて日本一となった。ただし、読み仮名数については、岡山電気軌道東山本線の西大寺町停留場が西大寺町・岡山芸術創造劇場ハレノワ前停留場に改称したことで、単独首位ではなくなっている。 年表
停留場構造2面2線の相対式ホームを有する地上駅。駅舎には上屋が設置されている。移設前は相対式ホーム2面1線の地上駅で2本のホームが1本の線路を挟み込む構造で上屋は設置されていなかった。また停留場の大学前寄り100 m先には鵯島信号所があったが、複線化に伴い廃止された。
射水線新富山駅市内線ホームの北側にあった。駅舎は鉄筋コンクリート2階建てで、駅舎の改札内の階段を下りた所に1面2線の頭端式ホームがあり、また駅舎の西側に設けられた市内線との連絡線上には、簡便な待合室を持つ1面1線の片面ホームがあった[31]。かつては貨物用の側線1線もあったが、1966年(昭和41年)4月の貨物営業廃止後に撤去されている[4]。 射水線用の施設は、同線の廃線後の1986年(昭和61年)8月から9月にかけて解体撤去され、1997年(平成9年)時点では駅舎跡地は駐車場になっていた[32]。2006年(平成18年)時点では駅舎跡地は引き続き地元の建設会社の駐車場で、一段低い位置にあったホーム跡地は道路や住宅用に埋め立てられ[33]、その後2010年(平成22年)時点では高層マンションと富山大橋工事の資材置き場になっていた[34]。 停留場周辺
隣の停留場かつて存在していた路線
脚注出典
プレスリリース
参考文献
関連項目
外部リンク
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