トヨタ・チーム・タイランド
トヨタ・チーム・タイランドはタイのレーシングチーム。タイ国内シリーズをはじめ、SUPER GT、ニュルブルクリンク24時間レースなど海外でも幅広く活動していることで知られる。TRDのタイ法人であるTRDタイランドについてもここで述べる。 概要![]() 1986年にトヨタ モーター タイランド(TMT)[注釈 1]およびTRDタイランドCO.,LTD(arto-TRD)[注釈 2]を母体に発足。以来30年以上にわたりタイにおけるモータースポーツ普及やプロフェッショナルレースに尽力してきた[1]。 TRDタイランドの創設者・現社長であるステポン・サミタシャ(スッティポン・サミットチャート)は1980年代に日本に留学していた経験があり[2]、「ARTO(アト、アット、アラット)」のニックネームで知られる[3][注釈 3]。また彼自身もタイスーパーシリーズで幾度もタイトルを獲得したレーシングドライバーであり、現在もニュルなどでステアリングを握る[4]。 現在はTOYOTA GAZOO Racingの一員として東南アジアのレースの他、ニュルブルクリンク24時間レースやSUPER GTなどに参戦。また、カローラアルティスやヴィオスによるワンメイクレースなどの運営にも関わりアマチュアへの振興もするなど、タイにおけるトヨタのモータースポーツ活動に大きく貢献している。 日本のレースにも参加しており、1990・1991年の全日本ツーリングカー選手権 最終戦(インターTEC)にAE92型カローラレビンで参戦した他[5]、2014年にSUPER GTにデビューし2017年からフル参戦している。 ニュルブルクリンク24時間レース![]() 2014年にタイトヨタが生産する車の品質及びタイ人ドライバーの実力を証明するため[6]、ニュルブルクリンク24時間レースに初参戦。マシンは東南アジア専売車のカローラアルティス、クラスはSP3。安全装備以外は無改造の状態であった。またメンテナンスやオペレーション協力にザクスピードや日本のスタッフも携わっている。決勝はエンジントラブルが発生し大幅にロスをしたものの、なんとか修復してクラス7位で完走した。 2015年からは2台体制で、うち1台は優勝も狙ってレギュレーションの範囲でチューニング。また日本にも協力してもらい、エンジンを3S-Gに換装した。クラス6位と7位で完走。 2016年も同じ体制で参戦し、クラス2位と4位で完走。初めて表彰台に上がった[7]。 2017年はエントラント名にGAZOOが入ってTOYOTA GAZOO Racing team THAILANDに変わり、木下隆之もドライバーに加わった[4]。決勝は駆動系などが相次いでトラブルに見舞われ、最終的に残り2時間でピットに引っ込め、チェッカーだけ受けるという策を取らざるを得なかった[8]。クラス8位と9位で完走[9]。 2018年も同体制で参戦。しかし122号車は76周でリタイア、123号車も修復しながら55周でチェッカーを受けたものの完走扱いには至らなかった。 2019年はエンジンを3S-Gに換装したC-HR2台でSP3クラスに参戦。エントリー名はGazoo Racing Team Thailandに変わった。120号車のドライバーには日本やタイのワンメイクレースで活躍する河村直樹が加入。119号車はスタートできなかったが、120号車が総合80位・クラス3位で完走を果たしている[10]。 2020年はエンジンを3S-GEに換装したカローラアルティスGR SPORTの2台でSP3クラスに参戦。決勝での結果はクラス1位を達成した。 SUPER GT2014年にタイのチャーン・インターナショナル・サーキットで初開催されたSUPER GTで、86マザーシャシーのプロトタイプのテスト参戦を担当。マシン名はARTO 86。ドライバーは土屋武士と、二輪・四輪でタイ国内王者になったナタウッド・ジャルーンスルカワッタナ。トップから2周遅れの14位で完走した。なおこのとき監督のスティポンは将来SUPER GTに本格参戦することを考えていることを語っている[11]。 2016年もタイ戦にスポット参戦。ドライバーは前回に続きナタウッド[注釈 4]と、シンハビール副社長のピッティ・ビロムパクディ。マシンは前回同様86マザーシャシー。トップから2周遅れの18位で完走した。 2017年には、純外国系チームとしては2011年のサンダーアジア以来となるフル参戦に踏み切った。ドライバーはナタウッドとフォーミュラ・アジア王者のナタポン・ホートンカム、チーム名は PANTHER TEAM THAILAND [12]。初年度はマザーシャシー特有のトラブルに泣き、最高で20位という苦渋の一年を送った。 2018年はドライバーはそのままに、マシンをRC F GT3にスイッチ。全戦で完走し最高15位であった。 2019年はナタウッドの代わりに、ARTAから移籍したイギリス人ドライバーのショーン・ウォーキンショーが加入。この年も全戦で完走し、最高順位は16位。 2022年2月15日 arto team ThailandはSUPER GT参戦を見送り。2023年の復帰を目指すと発表。 戦績
SUPER GT
脚注
注釈
関連項目 |
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