ネネイ
ネネイ(Nenê)ことマイビネリ・ロドニー・イラリオ(Maybyner Rodney Hilário, 1982年9月13日 - )はブラジルサンパウロ州サン・カルロス出身の元プロバスケットボール選手。ポジションはセンターまたはパワーフォワード。 経歴生い立ちサッカー王国ブラジルで生まれたネネイは周囲の子供たちと同様にサッカーに熱中して育ち、プロクラブの練習に参加するよう勧誘を受けたこともあったが、その後バスケットボールに転向。Instituto Alvaro Guiao高校卒業後、ブラジル国内リーグ(pt:Liga Ouro de Basquete)のCRヴァスコ・ダ・ガマに入団。2年目の2001-02シーズンには13.2得点10.1リバウンドのダブル・ダブルの成績を残した。2002年にはブラジル代表に入り、グッドウィル・ゲームズでの銅メダル獲得に貢献した。 デンバー・ナゲッツ2002年のNBAドラフトにエントリーし、1巡目全体7位指名でニューヨーク・ニックスから指名されるも、直後にデンバー・ナゲッツとの大型トレードが行われ、ナゲッツでNBAの選手生活が始まった。低迷していたナゲッツでは1年目のネネイも重用され、NBAデビュー戦でいきなり10得点11リバウンドのダブル・ダブルの数字を叩き出し、シーズン中盤からは先発に定着、平均10.5得点6.1リバウンドの成績を残し、オールルーキー1stチームに選ばれた。翌2003-04シーズンにはルーキーカーメロ・アンソニーを始め、アンドレ・ミラーやマーカス・キャンビーら優秀なメンバーが集い、ナゲッツは1995年以来のプレーオフ出場を果たし、ネネイも出場した全試合で先発起用された。しかしこのオフにナゲッツはPFのケニオン・マーティンを獲得したため、先発の座を彼に譲ることになった。さらに怪我にも悩まされ、2004-05シーズンの出場試合数は55試合に留まった。さらに翌2005-06シーズンは開幕戦の対サンアントニオ・スパーズ戦で前十字靭帯断裂に側副靭帯損傷、半月板損傷という大怪我を負い以後全試合欠場、このシーズンは僅か3分で終わってしまった。このオフにFAとなるネネイにとって、この怪我による長期欠場は最悪のタイミングであったが、ナゲッツは周囲の予想を覆す6年6000万ドルの長期高額契約をネネイと結んだ。復活を賭けた2006-07シーズンも怪我や12月16日のニューヨーク・ニックス戦に発生した乱闘騒動による出場停止処分などで18試合を欠場したが、マーティンが故障によりシーズンの大半を欠場したことで先発に返り咲きを果たした。プレーオフ1回戦のスパーズとのシリーズでは1勝4敗で敗れたものの、ネネイはリーグ最高選手の1人であるティム・ダンカンとのマッチアップで善戦を見せた。 これまで度々故障と戦ってきたネネイだが、今度は新たに癌とも戦うことになった。2007-08シーズン中に睾丸に腫瘍が発見され、1月に摘出手術を受けた。腫瘍は悪性だったものの転移はなく、3月には無事にコートに復帰できた。しかしシーズン終盤には再び故障で欠場を強いられた。 2008-09シーズン前にナゲッツは先発センターで守備の要だったマーカス・キャンビーが放出されたため、ネネイが先発に昇格したが、療養明けのネネイに先発センターの座が務まるのか不安視された。ところがシーズンが始まるとネネイは周囲の不安を一掃する活躍を見せ、自己最高の14.6得点7.8リバウンド1.3ブロック、FG成功率は60.4%でシャキール・オニールに次ぐリーグ2位だった。オフに行った肉体改造や綿密な健康管理が報われた形となり、ナゲッツはネネイの活躍やチャンシー・ビラップスの獲得で、24年ぶりのカンファレンス決勝に進出した。一時はNBAオールスターゲーム候補にも挙げられており、オールスター期間中を利用して結婚式を挙げるつもりだったネネイはスケジュールが重なることを不安がったが、オールスター選考からは漏れ、無事結婚式を挙げている。オフにはNBA最成長選手賞(MIP)の投票では5位に入った[2]。 移籍するまでのその後のシーズンも高い水準の成績を維持した。2010-11シーズンにはフィールドーゴール成功率1位となる61.5%を記録した。 ワシントン・ウィザーズ2011-12シーズン、2011年のNBAドラフトで1巡目指名で入団したケネス・フェリードに出場機会を奪われるようになり、2012年3月15日、ナゲッツは2016年まで高額契約が残り、怪我の多かったネネイをロサンゼルス・クリッパーズなどが絡んだ三角トレードでワシントン・ウィザーズに放出した。ちなみにトレードが発表されたのは深夜0時過ぎで、ネネイが自宅マンションで睡眠中に発表されたために、発表された翌日の朝にネネイが目を覚ましてテレビのニュースを見ていた時に、初めてトレードに出されたことを知ったという。 ヒューストン・ロケッツ2016年7月6日、ヒューストン・ロケッツと1年契約を結んだ[3][4]。10月26日、開幕戦のロサンゼルス・レイカーズ戦で、ベンチからの出場で7得点を記録した[5]。2017年1月5日の、オクラホマシティ・サンダー戦でシーズンハイとなる18得点を 、このシーズンで12試合目の2桁得点となった[6]。4月23日プレーオフでのキャリアハイとなる28得点をミス無しで記録し、オクラホマシティ・サンダー戦での勝利に貢献した[7]。5月7日のカンファレンス準決勝第4戦のサンアントニオ・スパーズ戦で、左鼠径部内転筋断裂し、残りシーズン、全休が決まった[8]。 2018年7月3日、ロケッツと3年1000万ドルの契約に合意した[9]。 プレースタイルゴール付近でのオフェンス能力があり、屈強な肉体と運動能力を武器に豪快なダンクを豪快に決める。チームオフェンスをよく理解しキックアウトパスもうまく、無理なオフェンスをしないためフィールドゴール成功率は高く、シーズン10位以内を5回記録し、その内1回は1位であった(2010-11シーズンの61.5%)。また速攻の先頭を切れるだけの走力もある。ディフェンス面ではあまり数字に残るタイプではない。最大の悩みの種は怪我の多さで、特にシーズン開始直後に故障し、過去2シーズンを丸々棒に振っている点である。 その他個人成績
NBAレギュラーシーズン
プレーオフ
レギュラーシーズン1試合記録
プレーオフ1試合記録
関連項目脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia