ノート:アムネスティ・インターナショナル
と、大幅な記述削除がありました。確かに中立性は重要です。ただ、「欧州では「最も信頼できる国際組織」として高い評価・・・」など、重要な記述まで一括して消してしまうのはいかがなものでしょうか? 熟考の上、一部を中立性を損ねない範囲で復活させたいと思います。ご了承ください。--miya 2005年8月30日 (火) 00:23 (UTC)
ウィキペディアのポリシーに反した悪意ある記述を行っている人達http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1119536205/l50 http://society3.2ch.net/test/read.cgi/volunteer/1122835599/l50 悪意ある記述を行っているのは2chの↑のスレに出入りしている人達では? この項が観察対象になってるし。--以上の署名の無いコメントは、211.141.87.28(会話・投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 10:53(UTC) 編集合戦はご遠慮くださいこの編集をなさった211.141.87.28さんへ。大切なinterlinkまで消されては困ります。 また「当初あった日本支部に対する「批判的」記述」についての復活を希望される方は根拠・出典をここでお示しいただければ幸いです。日本支部に対する批判の声が上がっているのはどこですか? ただし、それがネット上の掲示板だけ、という場合はウィキペディアに記述するのはご遠慮ください。--miya 2005年8月30日 (火) 11:15 (UTC) ウィキペディアの「中立性」を損ねない記述をそもそもウィキペディアは特定団体への一方的な攻撃を書き並べる場所なのでしょうか。 いくつかの政治団体やNGOの頁を見ましたが、ここの頁のようにあれこれと攻撃が並べられている頁は無く、団体についての基礎的な情報が淡々と書き並べられているだけだしたが。 この頁を編集している人の中には、明らかにアムネスティへの攻撃意識を持って意図的に悪意ある記述を行っている人達が紛れ込んでいるとしか思えません。 誹謗中傷なら2chでやってください。--以上の署名の無いコメントは、211.141.87.28(会話・投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 11:33 IPでなく、ログインしてから、また署名も大幅な変更を加える時にはログインすることがウィキペディアでは推奨されています。また、ログインすることによってお互いの考えをたたかわすことができるからです。wikipedia:説明責任を参照して下さい。署名することはエチケットであり、誰が何を言ったかが分かりやすくなり、議論がしやすくなります。wikipedia:署名を参照。Shishin 2005年8月30日 (火) 12:01 (UTC) 批判について2005年8月30日 (火) 13:38(UTC)の編集で、日本支部に対する批判を一部復活してみました。会員数低落の説明がつくのではないかと考えられたからですが、いかがでしょう?--miya 2005年8月30日 (火) 13:45 (UTC) 国際刑事裁判所(ICC)日本支部のホームページで国際刑事裁判所を大きく取り上げているのですが、国際刑事裁判所とアムネスティの関係がよく分かりません。ご存知の方がいらっしゃいましたら加筆をお願いします。--miya 2005年8月30日 (火) 13:58 (UTC) 簡単に述べますと、国際刑事裁判所(ICC)の設立の過程と理由についてですが、たとえ人権を保護する法が国際法、または国内法として存在しても、それを解釈、適応、そして発動して実際に運用するのは各国政府であり、つまり最終的には人権問題と人権法は各国の内部でしか処理されません。このような事が理由で問題がいくつも起こっており、(例えば国連には多数の国が加盟していますし、ここで発行され、批准された人権法も沢山ありますが、それを誠実に遵守し、国内で適応している国は殆どありません。毎日国連加盟国での人権侵害の問題が報道されています。) その為、一国内だけでなく複数の国にわたり刑事司法の効果を発動させるために考えられた物の一つが国際刑事裁判所の設立です。そしてこの裁判所の必要を訴えた民間組織等がいくつかありましたが、その組織のうちの一つとしてアムネスティインターナショナルがあります。そういった面でアムネスティが関わっています。よって具体的な裁判所の内容についてはそれほど深いかかわりはありません。--220.159.88.211 2005年12月7日 (水) 08:00 (UTC)
ならば「アムネスティへの批判」に対する批判を書いてもいいのでしょうか?書き換えられる前のこの頁にはRENK東京などの団体の頁を引き合いにしたアムネスティ批判が書かれていましたが、これはRENK側の主張を鵜呑みにした不公平な批判です。RENKに限ったことではありませんが、仮に中立性が「両論併記」ということならば、「批判に対する批判」を書いてもいいのでしょうか?全般的にみて、批判ばかり羅列してあるのは中立的とは言えないと思いますが。--以上の署名の無いコメントは、200.183.10.9(会話・投稿記録)さんによるものです。2005年8月30日 (火) 21:21 (UTC)
「批判に対する批判」を書くのは構わないと思います。『誤りや偏見による記述である』というのなら、その点をノートで指摘すれば削除しても問題にはならないでしょう(指摘しなくても問題にならないこともあるわけですが)。 -- NiKe 2005年8月31日 (水) 00:57 (UTC) アムネスティ日本支部の現状への批判について私はアムネスティの会員の一人ですが、会員になる以前にアムネスティ日本支部の項目を見たときはずいぶんと辛い事が書かれている様だと思った事がありました。しかし会員である現在は以前あったアムネスティ日本支部への批判はそれ自体妥当な内容だったと思います。 ウィキペディアは“辞書”ではありません。“百科事典”です。辞書と百科事典の厳密な定義の違いを規定するのは難しいですが、辞書、百科事典は共に中立的であることは要請されている事実だと思いますし、ウィキペディアのような社会に広く開かれ認知されているサイトなら、なおさらそう在るべきだと思います。しかし百科事典はその意義上、題名の概念に対して(ここではアムネスティ日本支部について)時事に関することも含めて出来るだけ多くの情報が述べられるべきでありそれが客観的に見て必要以上に偏っていたり、中傷的でない限り“その事についてこの様な見解がある”という事は出来る限り多く述べられるべきであると思います。ただ以前に書き込まれていたアムネスティ日本支部への批判的内容は若干、感情的な雰囲気か感じられましたし、若干執拗に書かれていた様にも感じました。 但し、繰り返しますがその内容自体は全てとはいえませんが具体的かつ詳細で納得いく内容も多く、これをただ“攻撃的”という理由で削除する事はどうかと思います。結局削除したほうも感情的になっていて、傍観者としては(私個人の意見として)水掛け論になっている様に思えます。結論としては以前在った批判のいくつかは載せるべきだと思います。 またこれは私見ですが、ノートの中にもありましたが、アムネスティ日本の会員数が減ったとの嘆きの声がありました。アムネスティ日本支部(具体的には執行部等の組織運営の中心者)への批判的記事はそれに対しての感情的批判と同時に抗議として私は感じました。この事については私も同感であり、アムネスティの掲げる理想の高い謳い文句等に共感して入会したものの現実の活動等やその他の諸々に対して失望を感じ退会した人も多いのではないかと思っています。だからといってこの様な場所でそれらを背景に批判を繰り広げるのは問題があるとは思いますが、見方によればアムネスティ日本に対しての期待の大きさへの裏返しと見る事が出来るのであり、批判する側は勿論ですが、批判された側も、そのような批判に対して冷静に対応すべきです。--Graben 2005年12月7日 (水) 10:01 (UTC) 朝日新聞1997年10月15日に関する記述について
という要約は説明不足でした。かなり前なので記憶がおぼろですが、書き方も不的確だったと思います。申し訳ありません。 今日改めてデータベースをチェックすると、記述の元になったのは、
という記事であると考えられます。日本人妻に関する記事で、その中に少しだけ横田めぐみさんのご家族の話として、日赤とアムネスティに行ったが権限がないと言われたという話が出てきました。 ただし、朝日新聞の記事に「懇請を拒絶した」という記述はありません。新聞記事データベースのコンテンツをここに引用するのは問題があるかもしれないので控えますが、アムネスティ日本支部側の言葉として明記されていたのは「調査には相手国の受け入れが必要」と言う部分だけで、「北朝鮮が拉致を認めない以上、調査はできない。」という文字列は新聞記事の地の文章です。アムネスティ日本支部の言葉ではないようでした。 これに関して記述の復活を希望される方は、ネット上の不正確な引用ではなく朝日新聞の記事を直接お読みになった上で加筆をお願いします。もちろん中立的な記述であれば反対しません。 「現地での調査を申し入れ、相手国が人権侵害の事実を否認し調査団の受け入れを拒否した場合(項目より)」相手国の意向に反して調査を行うことが出来ないのは事実として、それ以上何もしなかったか、実は色々やったけどダメだったか、はどうやったら確認できるでしょうか・・・?--miya 2005年12月7日 (水) 12:01 (UTC)
{{POV}}はまだいりますか?{{POV}}はまだいるのでしょうか?--っ [Café] [Album] 2006年5月11日 (木) 09:27 (UTC) アムネスティ日本支部の分割保護の原因となっているのはアムネスティ日本支部に関する記述についてですので、アムネスティ・インターナショナル日本支部に記述を分割してはどうでしょうか?--Plisoner 2007年1月26日 (金) 03:36 (UTC) 日本支部に関する記述を大幅に削除事実誤認に基づく記述を削除してみました。Yuukirin 2007年3月11日19:55
中立的な観点からの問題何かこの項目にはアムネスティ・インターナショナルを称賛するようなことばかり書かれていますね。少し違和感を覚えます。5分の4ほどが称賛記事で、批判の部分はわずかです。政治活動をする団体(NPO団体ですが)なんだから、批判があるのも当然です。その部分の記載がない。ちょっとこれじゃあ中立的な記事とは呼べません。それに出典が一つもないのが一番の問題かと。記事についても歴史の項が冗舌になりすぎています。ここは事実のみを記載すべきでしょう。とにかく今のままでは記事として不十分です。--Annogoo 2007年6月21日 (木) 22:10 (UTC)
Lashakirieさんが、私が復帰させた2007年3月11日 (日) 04:44(UTC)の版の一部を、丁寧に手直しされており、感謝します。ただこれでは、批判というより弁明になってるような・・。批判というのはアムネスティの外からの批判であって、個別の事象についてアムネスティの見解を述べるようなら別の見出しにまとめられた方がよいかもしれません。アムネスティ・インターナショナルの英語版の方にも「Criticism」の見出しがあるので(しかももっとも分量が多い)、ある一定の批判はやはりあるのでしょう。--Annogoo 2007年6月25日 (月) 00:20 (UTC) 正確な批判は掲載すべきだと思いますが、ある種の方がたの一方的な主張だけでは正確ではありませんし、情報としても役立ちません。ということで、せっかく復活されたので、リンク紹介だけにとどめました。全般的に批判の項は、アムネスティに対する批判になっておらず、アムネスティの個々の活動テーマや、全く無関係なものさえも無理やりアムネスティたたきに利用しようとしている人びとが主張しているだけのものです。Annogooさんのおっしゃるとおりだと思います。批判するなら、アジア的人権論として展開されたアムネスティへの批判やそれへのアムネスティ側の対応とか、最近新評論から出た藤岡恵美子・越田清和・中野憲志編「国家・社会改革・NGO-政治への視線/NGO運動はどこへ向かうべきか」あたりから紹介するといいと思う。いかに、アムネスティをはじめ、国際NGOが日本の中でエリート指向に陥ってしまっているかを指摘しているし。--Lashakirie 当初感じてた中立的な観点からの問題について、自分としては今回の編集でだいぶ改善されたと思ってます。特にみなさんから反対の声がなければ、タグを取り外したいと思います。--Annogoo 2007年7月11日 (水) 06:16 (UTC)
ウィキペディアに載せるか否か最近の加筆部分のうち、「会員の一人が拉致問題につき問い合わせを行ったが事務局長から返答がなかった」という主旨の文言などを編集してみました。例えば、私たちがある製品を買って何か問題があると感じたとき、その製品のメーカーに苦情を出すことはあるでしょう。でも、その苦情がある人から寄せられて、ということを百科辞典に書くべきでしょうか。おそらく、同様の苦情が多数から寄せられたのにメーカーがきちんと対処しなくてマスメディアで大きく取り上げられて一連のことが社会問題と思われる、ということならば百科辞典に書く意味はあるとは思うのですが、皆さんいかがですか? Marseri
いくつかの点を削除や加筆をしました。まず、活動に関して日本を担当する国際事務局の調査員の数を書き入れるのは百科辞典としては詳しすぎると思います。他の国の担当者について逐一人数を書かない限りは日本の担当者についてわざわざ書かなくてもいいのではないでしょうか。次に、北朝鮮に関して、アムネスティ日本が共和国という呼称を使うことがある点については「意訳」しているという記述になっていましたが、さすがにそれは言いすぎのように感じました。私もアムネスティの国際事務局とアムネスティ日本のサイトで関連の公開されている声明や報告書を読みましたが、意訳と見なしてよいのか疑問に感じました。「意訳」ということを指摘している部分だけ削除しました。なお、私の個人的な印象として、北朝鮮に関する部分が他の並列されている部分より詳しすぎる気がしますので、一つ提案なのですが、どこかに別のページをこの件で設けてみてはどうですか? Marseri 2007年8月21日(火)18:39
「死刑廃止と死刑存置の考察」へのリンクの復活を提案します提督さんが、「無記名の個人サイト」であることを理由に「死刑廃止と死刑存置の考察」へのリンク[2]を削除しました。この削除に不同意です。黒崎氏が運営する「死刑廃止と死刑存置の考察」[3]はグーグルやヤフーの「死刑」キーワード検索上位にランクされ、ヤフーの登録サイトにも収められているという、定評のある死刑問題専門サイトです。一見してわかるとおり、詳細かつレベルの高いコンテンツを収めています。リンク先のページはアムネスティの主張の根拠となる統計資料をオリジナルに遡って検証したうえ、アムネスティの解釈とそれに替わる別解釈の双方を提示し読者の判断を仰ぐというフェアな姿勢をまもっています。よって、「掲載してよい外部リンク」の次の条件を満たしていると判断されます。 「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト。」 死刑廃止論に不利なデータを隠蔽するのが目的でなければ、削除すべき理由はありません。 (Tutinoko)
などが挙げられます。--提督 2007年10月6日 (土) 17:30 (UTC)--提督 2007年10月6日 (土) 17:33 (UTC)
「合理的な期間〔軽微な案件で議論開始から24時間(約1日間)、中程度の案件で同72時間(約3日間)、重大な案件で同168時間程度(約7日間)が妥当でしょう〕内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。」 --Tutinoko 2008年3月2日 (日) 05:25 (UTC)
提督さんは「アムネスティ・インターナショナルが絶賛する「カナダの事例」」で述べられているアムネスティ批判の論点を著しく誤解または曲解していますね。当該記事で黒崎氏が述べているのは、カナダにおいて「死刑廃止後殺人発生率が減った」というアムネスティの主張の検証に尽きます。この主張は恣意的な比較対象選択や期間設定に基づくものであり、より公平な観点から比較すればむしろ殺人発生率の増加がみてとれる、という方法論的な批判がその要諦です。氏の論点は統計データの解釈のしかたに限定されており、この短い記事をもって殺人率増加の原因を特定しようとしているわけではありませんから、提督さんが「経済情勢や社会政策」を持ち出したところで何ら反論になりません。 私は2007年10月7日 (日)の投稿で「アムネスティの死刑廃止論を名指しでとりあげたうえデータをあげて反論したサイトを、アムネスティに対する「批判」という項で紹介したのが、どうして「そもそもアムネスティと関係ない。」といえるのですか。説明してください。」と提督さんに質問しましたが、提督さんはこれに何ら回答をしていません。さらに、2度にわたり「今後は、対立点があれば本文に手をつける前にまずノート欄で議論をしてからにしてはいかがですか。」「もし提督さんがあくまで削除を望むなら、今度こそはいきなり本文に手を入れるのではなくあらかじめノート欄での意見交換と合意形成をはかってください。」と申し入れたにもかかわらず、あいかわらず合意形成の努力も払わないまま抜き打ち的な削除行為を繰り返しています。この一連の行為は「荒らし」といわれてもしかたありません。 さらに、提督さんの「このサイトの掲載に拘るのは何か政治的意図があると考えられます」という発言は「個人攻撃はしない」というウィキペディアのルールにも抵触します。それでも敢えて「政治的意図」を持ち出すなら、提督さんに対し「このサイトの削除に拘るのは何か政治的意図があると考えられます」という批判を向ける方が適切でしょう。現に、日本版ウィキペディアの「死刑存廃問題」においても「死刑廃止と死刑存置の考察」は外部リンクの一つに加えられ、そこには「主張としては存置論だが多くの観点から公平に検討している」という注記がほどこされていますが、これまでこの記載に対し死刑廃止論派や中間派を含む共同執筆者の間から反対意見が出たことはありません。「死刑廃止と死刑存置の考察」は既に日本版ウィキペディアにおいて一定の肯定的評価を得ているといえます。このサイトをウィキペディアの読者の目に晒したくないと躍起になっているのは提督さん1人だけです。提督さんによる「批判」は、およそ的外れです。 --Tutinoko 2008年3月2日 (日) 05:25 (UTC)
「ただし、左記サイトでは経済情勢や社会政策などといった、一般的に犯罪発生率により強く密接していると考えられている事象は一切考慮されておらず、また、扱われているのはカナダ国内だけでの話であり世界的に普遍的な傾向だとも述べられていない。このため、このサイトもまたデータを恣意的にピックアップないし解釈をし、あてこすりをしているだけという強い疑念がある。死刑廃止後に殺人の発生率が増えたというデータがあったとしても、それだけでは死刑廃止が直接、殺人の発生率を増やした、という説明にはならないからである。一方的に部分的なデータを提示し、閲覧者に誤った印象を与えるのは公正な議論とはいえないのである。Wikipediaの記事において、このような「独自研究」的なサイトを掲載することの是非に関しては、現在、ノートで議論がなされている。」 を追記しました。--提督 2008年3月16日 (日) 14:41 (UTC)--提督 2008年3月16日 (日) 15:15 (UTC) この文言は不適切です。 理由1:批判が的外れである。 2008年3月2日 (日) の投稿で指摘したとおり、当該記事はアムネスティがカナダのデータを恣意性に操作していると批判したものであり、死刑と殺人発生率の間の因果関係を論議することを目的としていません。 理由2:そもそも、本文に記載すべき内容でない。 編集方針をめぐる経緯や意見の開陳はノート欄で行なうべきであり、本文に書くべきことではありません。 よって、 2008年3月16日 (日)の提督さんの書込みは削除相当です。--Tutinoko 2008年3月20日 (木) 08:48 (UTC)
あと、Tutinokoさんがおっしゃるように、「死刑と殺人発生率の間の因果関係を論議することを目的としていません。」というのであれば、なおさらアムネスティと関係ない話になりますね。ただ、自分はTutinokoさんとはいささか異なる見解を有していて、件のサイトは、死刑と殺人発生率の因果関係などといった核心的な事について何ら述べることなしに、もっともらしい数表で飾り立て、結果として死刑廃止が殺人発生率の増加に繋がるかのような「巧妙かつ悪質な印象操作」を行っているところが解せないと考えています。 それに、文字通り本当に「死刑と殺人発生率の間の因果関係を論議することを目的としていません。」のであればなおさらここでわざわざ掲載する価値はないということになるかと思います。そういう類の話なら「あっ、そうですか」で終わる話になり、Wikipediaに掲載する価値はないかと思います。 このように、件のサイトは何重の意味においてもリンクを貼るにはふさわしくないと考えます。--提督 2008年3月20日 (木) 09:45 (UTC)
いずれにせよ、件のサイトの記述のみでは、死刑廃止と犯罪発生率の因果関係に関しては「独自研究」の域を出ませんね。単なる偶然の一致かもしれません。繰り返しますが、このサイトの掲載に拘るのは何か政治的意図があると考えられます。そうでなければもう少し、論理的な思考をトレーニングする必要があるかと思います。--提督 2008年3月16日 (日) 14:48 (UTC) ここで提督さんは「このサイトの掲載に拘るのは何か政治的意図があると考えられます。そうでなければもう少し、論理的な思考をトレーニングする必要があるかと思います。」と、またしても個人攻撃を繰り返していますね。これ以上の個人攻撃の停止を、提督さんに再度求めます。当該記事が「死刑廃止と犯罪発生率の因果関係」を論じたものでないことは、上述のとおり。--Tutinoko 2008年3月20日 (木) 08:48 (UTC)
-- 「118.91.192.203」さんの文言が無難そうでしたので全文採用しました。件のサイトへのリンクは外しました。--提督 2008年4月30日 (水) 16:35 (UTC) 日本のアムネスティは、プロジェクト・チームごとに活動が分かれてます。難民支援や死刑廃止などの活動を別個にされてる方もいて、死刑存置論者もおられます。つまり、社会のように様々な考えを持つ方々がそれぞれ行動しているのです。本項目の死刑廃止論を含めた各批判では、批判されてる対象がアムネスティ・インターナショナル日本の総意のように受けとめられるのは問題有りと感じます。合意の上での整理が必要かと思われます。--かんな文移 2009年2月16日 (月) 02:15 (UTC) テンプレートが多すぎる現在この項目の冒頭にはテンプレートが7つ並んでいます。あまりにも多すぎます。各テンプレートがどの記述に関して貼られたのかを整理すること、既に除去してもいい状況になっているものは除去すること、内容的に重複しているテンプレートは統合すること、を提案します。一見したところ、現時点では残すべきテンプレートは一つもないように感じます。--Kazhik 2009年10月6日 (火) 11:15 (UTC) 拉致被害者の敬称についてWikipedia:スタイルマニュアル#人物・人名によると、事件の被害者への敬称は記述は問題ないとのことです。ただ、引用以外で横田めぐみにさん付けを採用している記事はあまり多くはなく、瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件など小数です。北朝鮮による日本人拉致問題などほとんどの記事でさん付けはしていません。といった辺りを踏まえて、個人的にはどちらでもよいと思います。--カンショウシャ(会話) 2013年8月20日 (火) 04:32 (UTC)
批判・反発の項について批判・反発ではなくて団体自体の主張が混じってますが--十勝の自然(会話) 2013年10月28日 (月) 12:27 (UTC) |
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