ノート:仙台市の学校
内容整理が必要:高等教育機関-以外の記述下掲の2010年5月《#提案(記事名について)》節も参照。--Yumoriy(会話)
学都仙台では、概論の記述にみるように(引用→仙台は、高等教育機関に通う学生を85,000人以上抱えており~)、大学・大学院に代表される高等教育機関について論じているにもかかわらず、小学校・中学校・高等学校まで記述されております。内容の整理が必要と考えておりますが、如何なものでしょうか。--以上の署名のないコメントは、125.175.115.232(会話/Whois)さんが 2007年5月12日 (土) 14:25 (UTC) に投稿したものです。
常盤木学園中学校5 中学校・小学校 の私立のところですが、常盤木学園中学校は休校中であり書類上は現存していると記述がありますが、事実なのでしょうか?
宮城県教育庁総務課のサイトの 提案(記事名について)当セクションでの2010年5月の改名提案は、実施されませんでした(特別:差分/41819506)。下掲《#改名提案》節参照。--Yumoriy(会話)
現在の記事名「学都仙台」と、現在の記事内容(仙台市内の小学校~大学院、専門学校、学習塾の羅列と小解説)とのあいだの乖離が、やはり非常に気になります。少なくとも、「学都仙台」という記事名からは、現状のような網羅的・羅列形式の記事であることはほとんど想像出来ません。内容に照らせば、現在の「学都仙台」というようなキャッチフレーズ的・叙述的な記事名は改め、「仙台市の教育」とか「仙台市の学校」というような、客観・明瞭な記事名としたほうが適切に思います。なお、社会通念上、日本の小中高校や大学自体、とりわけ多くの公立学校を指して「教育産業」とは括らないはずです。従って、このページ冒頭のQ&Aでこの記事の初版作成者が主張している「(仙台経済のひとつとしての)教育産業を解説する」という、この記事のコンセプト自体がおかしいように思います。なお、同じ編集者さんが初版記事を作成された別の記事「楽都仙台」についても、全く同様の記事名不適切が見て取れます。 ちなみに、仙台市や仙台人のアカデミズム(に対する意識やレベル)というのは、他都市・他地域と比較しても、むしろ驚くほどお寒い限りというのが実態であって、「学生(として分類される住民)の人口割合が比較的高い」という一点を持って「学都」などと自称してしまうのは笑止千万、というのが個人的には思うところです。--Osxlib0422 2010年5月22日 (土) 13:10 (UTC) 出典について2017-04-01に主ページ「#高等学校」節の当該記述が除去されました(特別:差分/63575567)。--Yumoriy(会話)
次の個所の出典は何でしょうか? >(1)昭和30年代後半、仙台三高が新設されると、山下教育長は、中学校では偏差値輪切りによる進路指導を行なうようにとの方針を打ち出した。つまりある中学の1番から10番までは一高に、11番から20番までは二高に、21番から30番までは三高にという具合である。 このような事実はありません。山下教育長はその直前は仙台二高の校長を務めていました。二高を貶めるようなことをするわけがありません。仙台三高が新設されたのは昭和38年4月、山下教育長は昭和38年9月頃に退任しています。いつそのような方針を打ち出したのかのソースがありません。そのような方針を指示されたという証言もありません。公教育において偏差値輪切りによる進路指導を行なうように指示できるわけがありません。当時の河北新報にそれを報じた記事はありません。仙台二高の『仙台二高八十年のあゆみ』にも『仙台二中二高百年史』にもそのような記述はありません。社会党、共産党が県議会で取り上げたこともありません。県教委と対立する日教組も何も言っていません。 受験競争激化による輪切りは昭和30年代初めから始まっていました。 一高の優位は昭和34年に確立しました。 特定の受験生だけを集めようとすれば新聞で取り上げられます。 入学者数を調整しようとすれば新聞で取り上げられます。 > (2)昭和48年、初めてこの入試難易度(合格最低点)の序列が崩れ、二高の合格最低点が一高を上回った。それ以降、この二校間の格差は接近したものになる。 格差は学区分割による高校入試が行われた昭和52年まで離れたままでした。格差が接近すれば東北大学合格者数も接近するはずですが次のようにそうはなっていません。括弧内の左側が一高の合格者数、右側が二高の合格者数です(『仙台一中一高百年史』『仙台二高八十年のあゆみ』より)。昭和48年(147、106)49年(129、95)50年(153、94)51年(127、101)52年(137、93)53年(145、82)54年(141、77)55年(140、115) 実際に序列が逆転したのは昭和52年です。 このまま反証などがないならば上記の二つの文は事実に反するということでいずれ削除します。--Ultranium(会話) 2017年3月12日 (日) 13:23 (UTC) 仙台一高に県警機動隊は導入されていない2017-06-01に主ページ「#高等学校」節の当該文が除去されました(特別:差分/64303816)。--Yumoriy(会話)
>仙台では仙台一高に全共闘が組織されて校内に県警機動隊が導入された。 仙台一高に県警機動隊が導入されたことはないのでこの文章を削除します。--Ultranium(会話) 2017年6月1日 (木) 13:03 (UTC) 改名提案2023-10-07に当記事は「学都仙台」⇒「仙台市の学校」へ改名移動されました(特別:差分/97294221・特別:差分/97294220)。--Yumoriy(会話)
皆様、編集作業お疲れ様です。記事名と記事内容が合っていないと思われることから、この項目を記事内容に合わせて「仙台市の学校」へ改名いたしたく、ここに書かせて下さい。 まず、一応この記事の履歴を調べますと、 2006年11月26日に記事仙台市からの転記で作成されたことがわかります。なお近い時期に仙台の地形、仙台の気候、仙台のスポーツが同じ方により同様の手法で作成されています。長い記事が分割されて単独記事(子記事)になるのはよくあることです。しかし、その際には明確な記事名(記事名と記事内容が対応している、記事名から記事内容が容易に想像しうるという意味で)で作成されるのが普通だと思います。上記の例では仙台の地形、仙台の気候、仙台のスポーツの記事名は明確です。しかし、教育節だけは学都仙台という記事名で分割されました。 このノートの2010年の提案でも書かれていますが、キャッチコピーである学都仙台という記事名と、仙台市にある学校一覧とそれに係る説明(?)といったような記事内容、これらには大きな隔たりがあり改善したほうが良いと思いました。例えるなら、侍ジャパンという記事名をつけて野球日本代表の記事内容を書いているようなものです。ですから、記事内容にあわせて記事名を変えたほうがよいと思いました。 そこで「仙台市の学校」への改名が良いのではないかと愚考いたします。これなら学校一覧とそれに係る説明といった記事内容と記事名の間に隔たりはそれほどないのではないでしょうか。「仙台市の教育」の記事名も考えましたが、これだと仙台市の教育政策の解説みたいなものが記事内容に求められそうで、これは止めたほうがよいかな?と思いました。 長くなり申し訳ありませんが、以上のように考えました。ご意見、ご指摘がありましたら、承りたく思います。よろしくお願いいたします。(なお、楽都仙台の記事名も引っかかっているのですが、今はこちらに専念します。) --静山(会話) 2023年9月30日 (土) 04:32 (UTC)
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