ノート:北海道の神社の歴史
徳山大神宮へのリンクについて利用者:Flancさんによるこの差分については、実質的な差し戻しを行いました。(Wikipedia:荒らしではないので、リバートではなく編集による修正になっていますが、結果だけ見ると事実上の差し戻しです。) まず、蠣崎季広が1582年に創建したものが徳山大神宮のルーツの一つになっていることは確かです。なので、「ルーツ」を「徳山大神宮」へのリンクとするのは、話としてはおかしくありません。 ただ、文脈としては「AがXに変わった」ことを述べており、その直後に徳山大神宮(X)へのリンクがあります。そのもとである神明社(A)へのリンクと、意味合いが異なっています。実際には単にAがXになったのではなく、A+B+C+D・・・→Xになったのであり、また場所も変わっています。厳密には神明社と徳山大神宮はイコールではありません。 まあ「福山(松前)の神明社」についての単独記事があれば、リンク先としては最高なんですが。たとえば、徳山大神宮の記事が大幅に加筆されるなどして、徳山大神宮#神明社と徳山大神宮のように、同じ記事内でもリンク先を使い分けるようなことが妥当な水準になれば、それもありだろうと思います。いかがでしょう。--柒月例祭(会話) 2016年11月24日 (木) 11:06 (UTC) 刈田神社 (登別市)への言及についての要検証2015年4月の加筆で追加された 刈田神社 (登別市)への言及についての疑問です。 その上に列挙されている事例は、いずれも「北海道最古のものとして言及がある」ものです。これに対し、刈田神社は出典を欠きます。
確実な言及としては「天正17年(1589)胆振に六領がおかれ」などの記述があるものの、他の神社よりも100年以上はあとの年代です。「最古クラスの一つ」ではあるかもしれませんが、「最古のもの」とするのは難しいと思います。ほかは何かしら「これが最古(No1)」という理由や根拠があります。 「渡島国」ではなく「胆振国」にある、という趣旨の記述も、疑問です。というのも、北海道に渡島国や胆振国が置かれたのは戊辰戦争のあとのことですから、中世には渡島も胆振もないのです。あまり意味のない区別に思います。--柒月例祭(会話) 2017年8月14日 (月) 19:21 (UTC)
湧元神社について「元久2年(1205年)7月23日に金山祭を行ったという記録」があるとのことですが、ガイドラインには「特別な主張には特別な証拠が求められる」とあり、問題のある記述と思われるため要検証範囲としました。--Alice OPP(会話) 2017年11月12日 (日) 13:43 (UTC) |
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