ノート:東北放送アナウンサーについてアナウンサーの項の最初の一行の意味がわかりません。報道部とアナウンス部は別だし(そのために報道部所属のキャスターの項があるのでは?)アナウンサーと解説委員を兼務してる人は名前のあとに(解説委員)ってあるじゃないですか。確かに報道番組で記者ではなくアナウンサーが取材・リポートするのは(規模の大小問わず)どこの局でもありますが、TBCは「報道局アナウンス部」だからちょっと誤解してるのではないですか? --以上の署名のないコメントは、221.170.140.66(会話・投稿記録)さんが 2005年8月19日 (金) 11:25 (UTC) に投稿したものです。 ここから別のアナウンサーについての話題です。 『退社したアナウンサー:男性』の項、高橋厚アナの説明に『元:アナウンス部長、現アナウンス部長・藤沢智子アナの前の部長だった』とありますが、藤沢アナの前任は若生哲旺アナです。若生アナのページを見ると『2007年4月1日から2010年3月31日までアナウンス部長を務めた』と書かれています。高橋アナは2003年に定年退職しています。ソースはたとえば『河北新報ニュース 支える人々(11)元東北放送アナウンサー・高橋厚さん 』。高橋アナと若生アナの間は、池田赳→高橋厚→鈴木俊光→森雅一郎→若生哲旺、となるかと思います。ただ、アナウンス部長経験者には皆『元:アナウンス部長』とつけたほうがよいものでしょうか。--61.44.81.134 2012年3月1日 (木) 07:51 (UTC) テレビ・ラジオの未ネット番組について冒頭の記述がテレビラジオ入り乱れたものであり、他局と比べても長文であることからとりあえず分割してみました。もう少し項目を整理したほうがいいと思いますが、私にはここまでが精一杯です。 この項--61.44.80.141 2005年12月19日 (月) 05:41 (UTC)
2006年2月18日 (土) 07:29~35に 222.158.252.244さんによって追加された「# 7.5 TBS・毎日放送制作の全国向け番組でありながらネットの無い(無かった)テレビ番組」「# 7.6 TBS制作の全国向け番組でありながらネットの無い(無かった)ラジオ番組」に疑義があります。 1.「兼高かおる世界の旅」。 TBSの放送開始当時は知りませんが(私は生まれていませんので)、少なくとも末期はネットされていました。それに >(日曜日朝9時台に、前半は自社製作番組「サンデートーク」、後半はアニメの再放送があったためか?) これは東北放送ではなく仙台放送です。 2.「まんがはじめて物語」などのシリーズ。 これは同時ネットで無いだけで(自社制作番組「みやぎ東西南北」のためという理由は正しいです)放送自体はありました。さすがに当時の時間帯は覚えていませんが。ちなみに「さくらももこ劇場コジコジ」は日曜朝6:00~6:30と記憶しています。 3.「よしもと新喜劇」 これは不定期で何度か放送されたことがあります。仙台お出かけ公演の公開録画もありました。何年の何月だと訊かれても困るのですが。途中からエンディングテーマが「エクスタシー」に変わりましたからその前後を調べてもらえば分かると思います。 4.「真珠の小箱」 これは私の知る限り放送されていないと思います。ただ外部リンクされている非公式サイトの記述から想像するに、単に他の基幹局ではネットされてようですが、それをもって全国向け番組と表現するのは正しくないのではないかと思います。 たとえばHTB北海道テレビ放送制作の番組「水曜どうでしょう」はテレビ朝日系列局に限らず全国で放送されていますが、決して全国向け番組ではありません。単に北海道のローカル番組を他県の放送局が購入して流しているだけです。このような番組販売による地方局での放送は「TBS制作の全国向け番組でありながらネットの無い(無かった)ラジオ番組」の項に挙げられている番組についても言えることです。 5.(現在は放送修了) これは揚げ足取りになりますが、修了は主に学業に使うものでまずいと思います。 よってこの項について正しい知識を持った方による修正を依頼します。この項--61.44.80.133 2006年2月21日 (火) 17:22 (UTC)
1.「サンデートーク」は確かに後に仙台放送で「新サンデートーク」のタイトルでありました。 しかし、東北放送が「サンデートーク」という文化人インタビュー番組を東北電力提供でやっていたのは事実です。 「兼高かおる世界の旅」のTBSなどでの放送時間帯とは重なっておらず、また重なっていても別の時間帯に「兼高かおる世界の旅」を放送していたのかもしれませんが。 2.「まんがはじめて物語」などのシリーズ。 ネットがあったことは認めます。しかし、TBSでの同番組での放送時間帯に宮城では「みやぎ東西南北」をやっていたこと、それだけが理由ではないが、関東ほど「まんがはじめて物語」などが当時の宮城の子供たちに知られていなかったことは事実だと思います。 3.「よしもと新喜劇」 毎日放送の本来のエリアの近畿地方や、それが近い地域、つまり山陽放送・中国放送・山陰放送のエリアなどのように、小学生が土曜の昼過ぎあわてて下校して自宅でよしもとのお笑いを見る習慣(1960年代~1990年代はじめにおいて)が宮城になかったのは事実です。メジャーな存在でなかったのは確かです。ネットも近年の可能性があります。なお、毎日放送は元はNET系ですが、当該地域ではTBS系もしくは他系列でそれ以前からやっていたようです。 なお東北放送の場合、土曜日正午台はかつては自社製作番組かつ宮城県内の視聴者参加番組の放送枠の時期が多かったと思います。 4.「真珠の小箱」 近鉄提供で、近鉄沿線にちなんだ文化財に関する番組です。この番組、ラストで毎回紹介した場所について「大阪・京都・名古屋から近鉄でお越しください」とナレーションがありました。そして関東での近鉄のCMは近鉄特急などです。明らかに近畿ローカルではなく、それ以外の地域への販売・ネットを意識しています。 この番組は1960年ころからの放送のようですが、関東での毎日放送のネット局は当時TBSではなくNET(現在のテレビ朝日の前身)です。この放送局は教育系番組の放送を義務付けられ、そのためにつくられたようです。1975年より関東での毎日放送のネット局はTBSになりました。 宮城県の場合、東日本放送の開局は1975年です。それ以前はNETの番組は東北放送・仙台放送・ミヤギテレビが分け合っていたようです。 もし東日本放送の開局が数年早かったら、東日本放送はおそらく放送していた(せざるを得なかった)でしょう。NETでの放送時間は金曜日夜10時45分です。東日本放送がローカル番組を放送する時間帯ではありません。 東日本放送の開局が数年早かったら、あるいは東北放送・仙台放送・ミヤギテレビのいずれかが「真珠の小箱」を放送していたら、毎日放送がTBS系に変わったとき、東北放送は「真珠の小箱」の放映を続けざるを得なかった(自らの時間帯移動か、あるいは仙台放送・ミヤギテレビ・東日本放送からのネットチェンジか)でしょう。 ただ、この番組、少なくとも商業的にはうまみの薄い番組です。地味な文化番組で内容もわかりにくく、視聴率はもちろん知名度も低いです。 また、本来のスポンサーの近鉄にとって宮城県は沿線から遠く、東北放送にとっても地元から遠い地域のスポンサーなので、お互い営業的メリットが低かったのでネットがなかったのでしょう。1975年の時点で東北新幹線は未開通ですし、まして1960年ともなると伊勢志摩や奈良吉野は宮城にとって非常に遠い場所だったはずです。 なお参考までに同じく毎日放送制作の文化番組「皇室アルバム」は本来のスポンサーは高島屋(近年は資生堂)ですが、宮城でも「白松がモナカ」提供で長年放送しています。高島屋に関係が近いとされる、丸光→ビブレ→さくら野百貨店はスポンサーにはなっていません。 5.全国子供電話相談室 この番組はラジオですが、名前のとおり立派な全国番組です。もし東北放送でネットがあったら、宮城の子供たちもかつては平日の帰宅後、現在では日曜の朝、いろいろな疑問を身近に解決できたことでしょう。そして宮城弁交じりでTBSに電話していろいろ質問できたかもしれません。それを思うと残念です。 なお、平日午後4時台(全国子供電話相談室のかつての放送時間帯)では東北放送ではローカル枠のワイド枠(1985年ころなら「TBCプロムナード」)で、その自社製作番組(「三菱ダイヤモンドハイウェイ」など)か、ニッポン放送の番組「円蔵の歌謡一直線」のネットだったはずです。
文献(東北放送の社史とか河北新報のマイクロフィルムとか)を当たればよかったのですが、横着して様子を見ていました。私はこの項に関しては依頼を出しただけで自らは修正をしていません。 ところが「全国向け番組でありながらネットの無い(無かった)」というタイトルが「全国ネット番組で未ネットだった番組」と修正されてしまいました。元の原稿を書かれた方にとっては「全国向け番組」と「全国ネット」とは別の概念とお見受けしますがいかがでしょうか。JNNに関してはネットというのはすべての系列局が放送をしなければならない特別な意味を持つ言葉に思えます。すべての系列局が放送しなければならないわけではないけれど複数の放送局に向けて番組販売されたものが「全国向け番組」と解釈してよろしいでしょうか。 そのうえで、元の原稿を書かれた方(ですよね)にお返事いたします。 1.「サンデートーク」については知りませんでした。仙台放送で放送されていたものとは異なるのですね。ただ仙台放送の「新サンデートーク」は94年まで20年間続いたそうですから、74年以前のことになるのでしょうか。 2.3.視聴ターゲットに知られていなかったとか一般的な視聴習慣が無かったとかいうことと放送されなかったこととは別でしょう。「ネットが無かった」と銘打った以上、東京、大阪と異なる時間帯だったとしても放送された事実があれば番組はあったことになり、リストから除かれるべきだと思います。 4.「真珠の小箱」についてはよくわかりました。NETのような「準教育局」の縛りが在仙の放送局にどれほど及んでいたのか分かりませんから何ともいえませんが、局のイメージとして東北放送がネットするぽいなと感じます。 「皇室アルバム」の大阪(東京?)でのスポンサーが高島屋だということも知りませんでした。ただ現在高島屋と提携しつつ経営再建中のさくら野百貨店(旧・丸光百貨店だったときから高島屋と仲がよかったのかは知りません)が、高島屋系列に入ったからスポンサーを替えてくれとは言いづらいでしょうね。 5.「全国こども電話相談室」。子供のころ、小学館の「小学○年生」に4:00~と書かれているのは何なんだろうと思いながら読んでいました。BCLにはまってから「円鏡の歌謡一直線」や「三菱ダイヤモンドハイウェイ」がニッポン放送ではワイド番組の1コーナーであること、東京ではたしかに「全国こども電話相談室」なる番組が存在していたんだということを知りました。たしか「全国こども電話相談室」は東北では秋田放送しかネットしていなかったんじゃないでしょうか。その他東北地方の各局、TBS、小学館、どれのせいかは分かりませんがどれかが消極的だったのでしょう。たしかにあなたの文脈に沿って考えれば「全国向け番組」ですね。
元の投稿者です。「真珠の小箱」と「全国こども電話相談室」については扱いを合意いたしました。どちらも放送されないのは惜しい番組ですが。 ただし、子供はあまりラジオを聴かない(今も昔も)ので「全国こども電話相談室」の未ネットを東北放送に抗議する必要は少ないでしょう。また、もしネットしたら、東北放送の大人向けの平日昼のワイド番組(先日書いた例なら「TBCプロムナード」)に30分(CM枠を削れば25分強)も穴が開いてしまいます。「全国こども電話相談室」を放送した直後(TBSラジオならスポットCMの流れる時間帯)に東北放送が「勾当台公園からのラジオカーの中継」などを入れても違和感は感じないでしょうが、あわただしさを感じます。
「兼高かおる世界の旅」と「まんがはじめて物語」は前者は「別の時間帯に放送の可能性あり」とするか単に削除、後者は「別の時間帯に放送」といたしましょう。
なかなか正しい記憶と親切心をお持ちの方が出ていらっしゃらないようですね。かく言う私も、東北放送10年史、20年史、30年史に目を通してみたものの結論が出ません。ただ、「仙台放送20年史」の年表で、1974年のところに「サンデートーク」について、これまで祝日に放送していた「ホリデートーク」をレギュラー化して「サンデートーク」スタートしたとの記述を見つけました。 ということは、東北放送は「サンデートーク」という番組を放送していたが、終了、その後仙台放送に特番として引き継がれ、レギュラー番組として復活を遂げ20年の長寿番組になった、ということなのでしょうか。ただ東北放送10年史、20年史に「サンデートーク」は載ってなかった気がします。これについては後日確認します。 それとは別に。家の掃除をしていたら古新聞を見つけました。1981年9月20日(日曜日)の河北新報朝刊です。まだ福島には2局しかなく、ラテ欄には宮城、福島のテレビとラジオ、それにNHK教育と岩手のテレビが宮城福島のハーフサイズで載っています。そこで、東北放送テレビの午前中の番組を書き出します。
というわけで「真珠の小箱」があるんです。これがあなたがおっしゃる毎日放送制作、近鉄提供の「真珠の小箱」かどうかが問題なのですが、もちろんテレビ欄だけでは確認不能です。テレビ局に尋ねればよいのでしょうが、毎日放送はweb上にお断りしますと出しているようです。というわけで、情報をお持ちの方、ぜひともお教えくださいませ。 ちなみに仙台放送では兼高さんの番組の放送時間である9:00には「あらいぐまラスカル」の再放送、10:00からはもちろん「新・サンデートーク」(福島テレビ、岩手放送と同時)です。
修正依頼をお願いしている方へ; 少なくとも1981年9月には「真珠の小箱」が放送されていたわけですね?(このタイトルで毎日放送制作の近鉄沿線の文化財番組以外はないでしょう) TBS(関東)とは別の時間帯(8時台か9時台)とはいえ、「やっていた」証拠が出てきた、と私は認めます。 私は1980年代末以降の放送時間帯で「真珠の小箱は東北放送では放映がなかった」と認識していたのですが。 この認識がミスかどうかはご判断お願いします。 ただ、あくまで推測ですが、放映された時期は、KHB開局後以降、「[サンデーモーニング]」放送開始前と思われます。(KHB開局前はNETの番組の放送時間が長かったでしょうし、「サンデーモーニング」放送開始後は日曜朝の時間帯に余裕が少なくなったでしょうから) そしてスポンサーは近鉄ではなかったと思われます。 宮城県の各放送局は、JR東日本のCMさえ少ない(国鉄時代以来)し、ましてJR他社や関東・関西の私鉄のCMはやらない(これも私の認識の範囲内ですが)傾向にありますので。 要は、私が「東北放送では未放映」と指摘した番組は、少なくともテレビではどれも(一時的とはいえ)放送のあった時期があったことになりますね? それなら、削除されても結構です。
とっくに修正依頼は消えていますが便宜上修正依頼をつけた男と呼ばれようと思います。 さて、長らく放ったらかしにしていたので、そろそろ結論をと思うのですが、不完全なところもありましてそこはご容赦願います。思ったよりマイクロフィルムを見るという作業は手間のかかるものでした。以下「河北新報」のテレビ欄によるものです。
これが私の調査結果です。
「兼高かおる世界の旅」は大半の期間TBSの同時ネットだったのですが、1977年4月3日の放送時間変更時にTBCは一週飛ばし、翌週4月10日の8:00から放送しているようです。そして一週遅れの状態が1978年9月24日まで続きました。1978年10月1日から同時ネットに戻っています。その間の一週分はどうなってしまったのだろうという疑問は残るのですが、河北新報(宮城)と朝日新聞(東京)のテレビ欄を見比べるとそういうことになります。なお、本来の放送時間である朝9時台にはTBCはアニメの再放送をしていたようです。これで元の投稿をされた方の >(日曜日朝9時台に、前半は自社製作番組「サンデートーク」、後半はアニメの再放送があったためか?) の説明がつきます。
wikipedia本文の(昭和45年12月から同時ネット、それ以前は別時間帯での放送)の記述は(1970.
「ホリデートーク」の間違いかも?「サンデートーク」については、このノートの上述を信じ込んでしまったため、思い込みで書いてしまいました。すいません。…こういった間違いや思い込みだったら許せますけど、それ以外のガセネタを書くようなことは、自称正直者の利用者:おーしゃんでも許しません。これはマイページにも載せているので、その一部を転記しました。話変わりまして、「ふしぎのトビラ」は東北放送制作の東北電力提供番組で初ではないはずです。「サンデートーク」の前身番組に、同じ草柳大蔵さん司会の「ホリデートーク」という番組のことを、今思い出しました。スポンサーの意向により一旦終了した「ホリデートーク」を仙台放送に持って行って作られたのが、「サンデートーク」「新サンデートーク」ではないかと思います。…で、「ふしぎのトビラ」の項目にもこのノートによる結果・結論がまとまり次第、東北放送制作の東北電力提供番組を「ホリデートーク」に修正したいと思っておりますが、いかがでしょうか? --- おーしゃん 2006年8月13日 (日) 13:43 (UTC)
修正されたあとで心苦しいのですが、あれから河北新報のマイクロフィルムでテレビ欄の調査を続けましたところ、どうも「ホリデートーク」も仙台放送で放送されたいたようです。詳しくは「新・サンデートーク」の項を立ち上げましたので、ご一読いただければと思います。なお、「東北電力20年史」によると、昭和34年6月にテレビ映画「激流」(TBC)の番組提供をしたのが東北電力の番組スポンサーとしての第一歩だったようです。続いて昭和39年に「電気もの知り教室」という番組を自主制作している、とあるのですが、 久しぶりに話を蒸し返します。まず、私が以前書いたものを中心にいくつか修正をしました。大意は変えていないつもりですが、気になる方は「直前の版との比較」をしてみてください。 オープニング・クロージングについて1970年代と1980年代半ばまでに放送されていたテレビのオープニング・クロージングのアニメーション映像につきまして。(これを書いたのは私です) あれは何をモチーフにしたものでしょうか(わからないので推測で書きました)。ご存知の方いましたらお書きください。 なお、この映像を最初に見たのは1974年です(非常に幼い時期でした。ちょっと怖い映像と思ったので印象に残っています)。その後1978年頃から日常的に見るようになりました。なお、昼間など、スポットCMの間にも時々放送されました。 1978年頃以降の数年間はオープニング・クロージングのナレーションは「東北放送テレビジョン音声多重化放送実用化試験局JOIR-TV」で、その後「東北放送テレビジョン音声多重化放送JOIR-TV」に変わったように記憶しています。 またオープニングの前にはカラーバーが、降水確率付の天気予報とともに放送され、カラーバー終了・オープニング開始の間には「ではこれで試験電波を終わります」のナレーションがありました。 それと、「TBCテレビの歌」、「TBCラジオの歌」ってどんな歌なんでしょうか? テレビのオープニング・クロージングの音楽は荘重な感じなので、あれに歌詞がついていたとは思えないのです。 ラジオなら(毎朝午前5時にコールサインとともに放送されたあの曲なら)軽快な感じなので歌詞がついても違和感を感じないのですが。 なお、ラジオのクロージングは1980年代の場合月曜日の午前2時頃(日曜日深夜。「ジャンボリクエスト」放送終了の直後)でしたが、あれは「TBCラジオの歌」の音楽に近いながらもより安らぎをもたらす音楽でした。
東日本放送開局前のNET番組のネット事情についてこれについては1975年10月はじめか1975年9月末の「朝日新聞」東京本社版の社会面(つまり全国記事)に「東日本放送開局」の記事があります。縮刷版にもなっています。 それによると、「これまでNETの番組は宮城県では東北放送とミヤギテレビで放送されていたが、今後は東日本放送に一本化されることになる」と書いています。 できれば、ご存知の方により、その時期の東北放送でのNETの番組の放送事情を追加をお願いします。 この種の記事には、アニメ・特撮などの子供向け番組や時代劇が多いですが、それ以外も情報をいただきたいと思います。 私の記憶では、確か東日本放送開局前は、「題名のない音楽会」が夜遅く放送されていた気がします。東北放送かミヤギテレビかどちらかはわかりませんが。 また、「魔法使いサリー」が1967年頃の番組表で、東北放送の平日(水曜日)の午後6時に放送されていた例もあります。当時の「河北新報」のテレビ欄にも載っています。
・「新時代の中小企業」は、手元にある「TBCラジオ・テレビプログラム 1976年4月」(TBCラジオに受信報告を提出した際、ベリカードと共に送付)によれば、東日本放送開局後も、東北放送で日曜7:15に放送されていたようです。 この番組は、オープニングタイトルで、ネット局リストが出ていましたが、東日本放送に移行したのは、NETからテレビ朝日(全国朝日放送)に社名変更した77年4月からと思います。--2400:2650:39E0:3600:C8C6:D2FE:4204:6B9C 2016年2月24日 (水) 11:08 (UTC) 周辺環境「周辺環境」なる見出しの下に半径2キロの名所一覧がありますが、東北放送と関係ないことです。削るのが良いと思います。Kinori 2006年6月30日 (金) 11:42 (UTC)
記事の分割について
テレビのサービスエリア外視聴について「大船渡市では気仙沼局、陸前高田市では唐桑大沢局、一関市では仙台本局をそれぞれ受信する世帯が多い。」とありますが、一関と陸前高田はわかりますが(一関(新、旧問わず)は南を向いてるVHFアンテナが多いですし、陸前高田についても在盛局の中継局がすべて同じ広田半島にあるにもかかわらずUHFのアンテナの向きがVHFアンテナよりもやや南向きの家が多い)大船渡で気仙沼局って受信できるものなのでしょうか?大船渡市街地の背後には氷上山や通岡峠といった電波を遮るものがあるため受信不可と思うのですが。(実際大船渡で気仙沼を向いてるアンテナは見たことがない)--奥州力 2008年8月27日 (水) 11:27 (UTC) 「TBS系列局のないこの(秋田)県の南東部のごく一部でも視聴者は恐らく存在している。」の記述について、この記述は事実を確認したとはいい難い内容であります。もし、事実であれば、それを証明するものを開示する必要があると思う。--219.101.94.156 2012年11月14日 (水) 12:07 (UTC) 記事の改名についてTBCニュース、TBC夏まつり、TBCパワフルベースボールの各記事において、「TBC」を「tbc」に変更するための改名提案テンプレートが2023年10月頃に貼られていましたが、Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきことに書かれている手順の1のみで、2,3についてはおこなわれずに放置されていたので、テンプレートを除去したことを報告します。--ねこざめ(会話) 2024年5月22日 (水) 19:40 (UTC) |
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