ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャブル・アール=サーニー
![]() ![]() シャイフ・ハマド・ビン・ジャーシム・ビン・ジャブル・アール=サーニー(アラビア語: حمد بن جاسم بن جبر آل ثاني, ラテン文字転写: Ḥamad bin Jāsim bin Jabr Āl Thānī, 文語アラビア語発音:ハマド・ビン・ジャースィム・ビン・ジャブル・アール・サーニー、口語発音風英字表記例:Hamad bin Jassim bin Jaber Al Thani、1959年8月30日 -)は、カタールの王族、政治家、実業家。同国首相、外相を歴任した。第2代ハーキムムハンマド・ビン・サーニーの曾孫にあたる。日本語メディアでは「ハマド・ビン・ジャシム」と表記されることが多い[1]。 経歴1959年、ジャーシム・ビン・ジャブル・アール=サーニーの五男としてドーハに生まれる。 1982年から1989年まで自治問題・農業大臣室長。1989年7月18日に自治問題・農業大臣に就任し、1990年5月14日からは水資源・電力副大臣を兼任。1992年9月1日に外務大臣となり、2003年9月1日から第一副首相を兼任し、2007年4月3日には首相に就任した[3]。 2013年6月25日、首長ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーの退位に伴って首相・外相を退任した。 同年7月にはソブリン・ウエルス・ファンドのカタール投資庁CEOの職も退任した[4]。 2022年6月に、2011年から2015年にかけて、イギリスのチャールズ3世(当時皇太子)へ約300万ユーロを現金で譲渡したことを『サンデー・タイムズ』が報じた。皇太子の慈善財団の寄付金として、対談時や皇太子の私的な会合など3回にわたり譲渡していたとされている。イギリス王室は適切なプロセスで処理されたと説明し、同紙も明確な違法性は無いとしている[5]。 評価近年、カタールはレバノンの国内対立解消やダルフール紛争の和平仲介[6]、チャド・スーダン間の対立解消[7]をはじめとする地域の諸問題解決において存在感を示しているが、ハマドの存在は大なるものがあり、『タイム』誌の「世界で最も影響力のある100人」の一人に選ばれたことがある[8]。 また、2009年に発表された『フィナンシャル・タイムズ』の「世界の針路を決める50人」の一人にも選ばれた[9]。 脚注
外部リンク
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