ビリー・コッチ
ウィリアム・クリストファー・コッチ(William Christopher "Billy" Koch, 1974年12月14日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ナッソー郡ロックビルセンター出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴1993年のMLBドラフトでニューヨーク・メッツから4巡目に指名を受けるが契約せず、クレムゾン大学へ進学。最初の2年間は学業を優先させたが、3年時の1996年にチームメイトのクリス・ベンソン、マシュー・リークロイと共にアトランタオリンピックのアメリカ代表に選出される。先発で1試合、リリーフで準決勝の日本戦を含む2試合に登板し、銅メダルを獲得した[1]。同年6月のMLBドラフトでトロント・ブルージェイズから1巡目(全体4位)に指名を受け、オリンピック終了後の8月23日に契約金145万ドルで契約。 1997年にA+級ダニーデン・ブルージェイズでプロとしてのキャリアをスタートさせるも、右ヒジを痛めて4月23日にトミー・ジョン手術を受ける。医師からは復帰に1年6カ月以上かかると言われた[1]が、1998年のスプリングトレーニングに参加できるまでに回復[1]。A+級ダニーデンでリーグ最多の14勝を記録し、シーズン終盤にはAAA級シラキュース・スカイチーフスに昇格した。 1999年は開幕をAAA級シラキュースで迎えたが、5試合に先発登板して3勝0敗、防御率3.86の成績でメジャーへ昇格し、5月5日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。マイナー時代は先発投手だったが、メジャーではリリーフとして起用され、5月7日のテキサス・レンジャーズ戦で初セーブを記録。その後も好投を続けてクローザーに定着し、前半戦で14セーブ、防御率1.34を記録。後半戦は防御率5.70と失速したが、シーズン通算で56試合に登板して31セーブ、防御率3.39の成績を記録し、新人王の投票では7位に入った。2000年以降も100mph(約161km/h)の速球[2]を武器にクローザーとして起用され、2002年まで4年連続で30セーブ以上を記録した。 2001年12月7日、エリック・ヒンスキー、ジャスティン・ミラーとの交換トレードでアスレチックスへ移籍。 2002年はリーグ最多の84試合に登板して11勝4敗、キャリアハイの44セーブ(リーグ2位)を記録し、チームは地区優勝。自身初のポストシーズンとなったミネソタ・ツインズとのディビジョンシリーズでは第2戦・第3戦は無失点に抑えたが、2勝2敗のタイで迎えた第5戦、1-2と1点ビハインドの9回表に登板し3失点。その裏味方が3点を奪い1点差に詰め寄るも敗れ、リーグチャンピオンシップシリーズ進出はならなかった。シーズン終了後の12月3日にキース・フォークら3対3のトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。 2003年は防御率5.77、11セーブと、キャリアワーストの成績に終わり、2004年6月17日にウィルソン・バルデスとのトレードでフロリダ・マーリンズへ移籍。2002年にメジャーで最も速い球を投げるといわれていた速球のスピードは2年間で140キロ後半まで落ちた[3]。 2005年1月10日に古巣ブルージェイズと1年総額90万ドルで契約したが[4]、3月17日に解雇された[5]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
表彰
背番号
脚注
関連項目外部リンク |
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