キース・フォーク
キース・フォーク(Keith Charles Foulke, 1972年10月19日 - )は、アメリカ合衆国・サウスダコタ州ラピッドシティ出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は主にクローザーを務めていた。 経歴プロ入り前からジャイアンツ時代ラピッドシティのエルスワース空軍基地で生まれ、テキサス州のハーグレーブ高校を卒業後、同じテキサスのガルベストン大学へ進んだ。1993年にはデトロイト・タイガースから14巡目(全体389位)で指名されるが契約はせず[1]、アイダホ州のルイスクラーク州立大に移った1994年、サンフランシスコ・ジャイアンツから9巡目(全体256位)で指名され6月3日に契約、プロとしてのキャリアをスタートする事になる[2]。 その年は4試合の登板にとどまったが、翌1995年はアドバンストA級で28試合に登板し、防御率3.51、13勝6敗、翌1996年はAA級で27試合に登板し、防御率2.75、12勝7敗と好成績をおさめる。1997年はAAA級フレズノで12試合に登板したところでメジャーに昇格するが、手荒い洗礼を受けてしまう。ジャイアンツは7月31日のトレード期限にフラッグシップ・ディールを行い、先発投手ウィルソン・アルバレス、ダニー・ダーウィンとリリーフのロベルト・ヘルナンデスを獲得、フォークはボブ・ハウリーら5人と共にシカゴ・ホワイトソックスに放出された。 ホワイトソックス時代ホワイトソックス移籍後リリーフにコンバートされ、ハウリーがクローザーとして育っていく中、主にセットアッパーをつとめていた。2000年にはシーズン途中からクローザーとなり、この年は34セーブを記録し、2001年は42セーブと順調に活躍する。 しかし2002年は5月末時点で防御率5.56、8セーブと安定感を欠き[3]、その後復調したもののトータル11セーブに終わった。チームとしてもアントニオ・オスナが11セーブ、ダマソ・マルテが10セーブとクローザーに悩まされた1年となった。シーズンオフの12月3日、ホワイトソックスは新たなるクローザーとしてビリー・コッチをマイナー2選手と共に獲得し、フォークと他2名プラス金銭をオークランド・アスレチックスに放出した。 アスレチックス時代2003年は復活を果たし最多セーブのタイトルを獲得し、オールスターにも選出された。 レッドソックス時代2004年はアスレチックスからFAとなっていたが、1月7日にボストン・レッドソックスと契約。安定した成績をおさめ、チームはア・リーグ東地区2位でポストシーズンへ進出する。ディビジョンシリーズではアナハイム・エンゼルス相手に2試合登板し、1セーブ、無失点と完璧に抑え、チームは3連勝でリーグチャンピオンシップシリーズへ進出、シリーズではヤンキース相手に5試合登板し、ここでも1セーブ、無失点と抑えきり、4勝3敗でセントルイス・カージナルスとの2004年のワールドシリーズへと駒を進める。ワールドシリーズでも全4試合に登板、防御率1.80、1勝1セーブと4連勝で1918年以来86年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献し胴上げ投手となる。ポストシーズントータルでは防御率0.64、1勝3セーブと完璧な内容であった[4]。 翌2005年は膝の故障に悩まされ序盤から不調であった。7月6日にはDL入りし翌日には左膝の内視鏡手術を受ける。9月9日に戻ってきた時には既にマイク・ティムリンにクローザーの座を奪われた後だった。復帰後は10日ほどの間にわずか6.2イニングを投げただけでシーズンを終えてしまった。オフには右膝まで内視鏡手術を受けることとなった[5]。 2006年は復活を待たれていたが、術後の両膝に加え右肘と背中にも不安があり、スプリングトレーニングでの成績も芳しくなかったため、チームは先発での起用を予定していたジョナサン・パペルボンをクローザーに起用し、自身は中継ぎで使われることとなった[6]。しかし6月13日には右肘の違和感でDL入りし、レッドソックスは2007年の契約オプション750万ドルを行使せずFAとなった。 アスレチックス復帰2007年1月4日にクリーブランド・インディアンスと契約するが、肘の状態は思わしくなくスプリングトレーニング直前の2月16日に「身体が思うように反応しない」と語り引退を表明した[7]。しかし、復帰を考え9月に右肘の遊離軟骨除去手術を行い、復帰に向けてのトレーニングを開始。 2008年1月に行った入団テストには高い興味を示していたアスレチックス、アリゾナ・ダイヤモンドバックスをはじめ20数球団が視察に訪れ[8]、最終的にアスレチックスと年俸70万ドル、インセンティブ総額250万ドルで契約し[9]、ヒューストン・ストリートへつなぐセットアッパーとして期待されていたが、同年限りで退団した。 独立リーグ時代2009年は独立リーグ・アトランティックリーグのニューアーク・ベアーズに入団しプレーした[10]。この年限りで現役を引退した。 選手としての特徴直球は90mph(約145km)に満たないがチェンジアップを武器に打者を翻弄する [11]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
タイトル
表彰
記録
背番号
脚注
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