ファンタジーファイトWRESTLE-1
ファンタジーファイトWRESTLE-1(ファンタジーファイト・レッスル-ワン)は、日本のプロレス興行。キャッチコピーは「ボブ・サップのバトルエンターテイメント」[1]。 歴史2002年11月17日、横浜アリーナでK-1を運営していたケイ・ワンの石井和義と全日本プロレスの武藤敬司が手を組み、「プロレス版Dynamite!」のふれこみで旗揚げ戦を開催。運営協力にはPRIDEを運営していたドリームステージエンターテインメントがあたっていた[2]。 人気者になっていたボブ・サップを看板選手としてK-1と協力関係にあるフジテレビが中継権を獲得し、平日19時から一時間というプライムタイムで放送。当時は既にプロレス中継がテレビ朝日の特番も含めゴールデンタイムとプライムタイムから撤退しており、久々のゴールデンでのプロレス中継となった。 ハッスルも無くエンターテイメント性を全面的に押し出したプロレススタイルはまだ主流ではなかったため、業界としても異端であった。佐竹雅昭が「Sata...yarn」と言うリングネームで登場してアブドーラ・ザ・ブッチャーと戦ったり、小島聡がコーナー最上段に登った時の決め台詞である「いっちゃうぞバカヤロー」が、小島の台詞と同時に電光掲示板に映し出されるなどの事象や、フジテレビの中継内で実況解説含めテロップが多用されるなどの独特なエンターテイメント感を出した大会になった。が、視聴率は平均8.4%と目標に掲げていた二桁には届かなかった。またテレビ放送の終盤では次回大会にハルク・ホーガン参戦を思わせる演出があったが、それ以降はホーガンに関するリリースはなかった。 2003年1月19日、第2戦を東京ドームで開催。鈴木宗男の秘書として当時世間を騒がせていたジョン・ムウェテ・ムルアカが登場したり、K-1選手のアーネスト・ホーストがプロレスに初挑戦し、「アーネスト・ビースト」なるリングネームでサップとメインイベントで戦い、サップを破るなどの波乱が起きる。主催者発表観客動員数は45,371人。視聴率は前回の横浜大会より2%アップし、平均10.4%。しかし、これが最後の大会となった。 4月19日、第3戦をさいたまスーパーアリーナで開催予定だったが、1月に石井が脱税容疑で逮捕されていたことや、DSEがK-1からミルコ・クロコップを引き抜いたことにより、両社の関係が悪化したこともあり中止になっている。DSEはWRESTLE-1を引き継ぐ形で2004年から独自にハッスルというプロレスイベントを立ち上げた[2]。 しかし、批判されがちな大会ではあったものの、PRIDEやK-1で活躍する選手がプロレスを行うことで得たものも多かった。特にケビン・ランデルマン、マーク・コールマン、ヒース・ヒーリングらに関しては非常に評価が高く、総合格闘技以外でも対応できるところを見せ、後にハッスルにも参戦し活躍した。 大会一覧第1戦ゲスト解説として蝶野正洋が来場。橋本真也、ムタ(武藤)と闘魂三銃士が同会場に揃った。
第2戦
脚注
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