フォスター・グリフィン
フレッド・フォスター・グリフィン(Fred Foster Griffin, 1995年7月27日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州オーランド出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 経歴プロ入りとロイヤルズ時代![]() (2019年4月13日) 2014年のMLBドラフト1巡目追補(全体28位)でカンザスシティ・ロイヤルズから指名され、予定していたミシシッピ大学への進学を取りやめプロ入り[2]。契約金は192万5000ドル[3]。 2019年まで傘下のマイナーチームでプレーし、同年オフにルール・ファイブ・ドラフトでの流出を防ぐために40人枠に登録された[4]。 2020年に自身の誕生日であった7月27日のデトロイト・タイガース戦に救援登板してメジャーデビューを果たし、この試合で初登板初勝利を記録したが、その後左肘を痛め、8月11日にトミー・ジョン手術を受けてそのままシーズン終了となった[5]。オフの11月30日にDFAとなり、その後自由契約となったが、12月2日にマイナー契約で再契約した[6][7]。 2021年にマイナーリーグで実戦復帰したが、この年はメジャーでの登板はなかった。 2022年は2年ぶりにメジャーに復帰した。7月11日にDFAとなった[8]。 ブルージェイズ時代2022年7月16日にジョナサン・バーナルとのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[9]。この年はメジャーで6試合の登板に留まったが、マイナーではAAA級オマハ・ストームチェイサーズ、バッファロー・バイソンズの2チーム合計で38試合に登板して6勝0敗、防御率2.10、57奪三振の成績を記録した[10]。オフの11月15日に自由契約となった[11]。 巨人時代2023年1月12日に読売ジャイアンツへの入団が発表された[12]。背番号は29[12]。 2023年は、4月1日の中日ドラゴンズ戦(東京ドーム)で、先発投手として来日初登板し、7回無失点で初勝利を挙げたが[13]、同8日の広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では4回1/3を6失点(自責5)で、初敗戦を喫した[14]。来日当初は左投右打と登録されていたが、上記2試合ではともに左打者として打席に入っていたため、4月11日に投打の登録を左投左打に変更した[15]。最終的に20試合に先発登板し6勝5敗、防御率2.75を記録。オフには新たに2年契約を結んだ[16]。推定年俸は2億円となった[17]。 2024年はオープン戦3試合で計6回11失点と不調だったものの[18]、4試合目の楽天イーグルス戦で好投し開幕ローテーション入り[19]。4月8日の試合後に右腹直筋筋損傷と診断され登録抹消されるが[20]、同月21日に三軍戦で実践復帰[21]。28日のヤクルトスワローズ戦で先発するが、4回8失点と炎上し再び二軍降格となった[22]。二軍での再調整を経て6月8日のオリックス戦より一軍に復帰すると[23]、それ以降は先発ローテーションに定着。6~9月の4か月間で各月奪三振率を9.00以上、特に6月は4試合で防御率1.26と復調し、最終的なシーズン成績は20試合の先発で6勝4敗、防御率3.01でリーグ制覇に貢献した。 2025年は3月29日の開幕2戦目で先発予定だったが発熱を理由に先発を回避し、翌30日に出場選手登録を抹消された[24]。4月26日の阪神戦に中継ぎで初登板し2回1失点[25]、5月4日のDeNA戦で同年初先発、同じく同年初先発出場の岸田行倫とバッテリーを組み、6回無失点・岸田の適時打や本塁打による援護で同年初勝利を挙げた[26]。7月12日のDeNA戦で勝利し、2016年スコット・マシソン以来の負けなしの6連勝を達成した。 選手としての特徴最速155km/hのストレートと、ストレートに近い軌道で変化する特徴的なカットボールを武器とし、ツーシーム、スライダー、チェンジアップ、カーブも操る[27]。来日後はチェンジアップの精度への不安から、戸郷翔征や久保康生コーチらからアドバイスを受け、スプリットを習得した[28]。 読売ジャイアンツの入団会見では自身の特徴について、「強い競争心、闘争心だと思っている」と述べた[27]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
記録NPB
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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