フランシス・ノース (初代ギルフォード伯爵)![]() 初代ギルフォード伯爵フランシス・ノース(英語: Francis North, 1st Earl of Guilford、1704年4月13日 – 1790年8月4日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。1727年から1729年まで庶民院議員を務めた後、1729年にギルフォード男爵を継承、1752年にギルフォード伯爵に叙された。ホイッグ党所属。 生涯第2代ギルフォード男爵フランシス・ノースとアリス・ブラウンロウ(第3代準男爵ジョン・ブラウンロウの娘)の息子として生まれた[1]。1718年よりイートン・カレッジで教育を受け、1721年3月25日にオックスフォード大学トリニティ・カレッジに入学した[2]。1722年頃、グランドツアーに出た[1]。 1727年イギリス総選挙ではホイッグ党の一員としてバンベリー選挙区で当選したが、1729年10月17日に父からギルフォード男爵の爵位を継承すると貴族院に移籍した。1730年10月、王太子フレデリック・ルイスの寝室侍従になり、1734年には親族の第6代ノース男爵ウィリアム・ノースからノース男爵の爵位を継承した。1750年9月から1751年4月までジョージ王子の家庭教師を務めたが、1751年にすべての宮廷職を辞した。1752年4月8日、グレートブリテン貴族のギルフォード伯爵に叙され、1766年にバンベリー家令に任命され、1773年12月にもシャーロット王妃付き出納官に任命された(いずれも1790年に死去するまで在任)[1]。 1790年8月、86歳で死去した。1人目の妻との間の息子フレデリックが爵位を継承した。 米国ノースカロライナ州ギルフォード郡の名前は初代ギルフォード伯爵に由来する[3]。 家族![]() 1728年、初代ハリファックス伯爵ジョージ・モンタギューの娘ルーシー(1734年没)と結婚、1男1女をもうけた。
![]() 1736年に第3代準男爵サー・アーサー・ケイの娘エリザベス(1745年没)と再婚、2男3女をもうけた。
![]() 1751年、第2代準男爵サー・ロバート・ファーニーズの娘キャサリン(1776年没)と再婚したが[4]、2人の間に子供はいなかった。 脚注
参考文献
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