フー・ファイターズ
フー・ファイターズ(Foo Fighters)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。ポスト・グランジ・グループの一つで、ニルヴァーナの元ドラマー デイヴ・グロールを主宰に発足。グラミー賞に31回ノミネートし、同賞を15回受賞[9]。 バンド名の由来は、第二次世界大戦戦中における未確認飛行物体を指すスラング用語「フー・ファイター」[10]。略称は、「FF」(エフエフ)、日本では「フーファイ」[11]。 来歴
![]() 1994年秋、元ニルヴァーナのドラマーであるデイヴ・グロールは、予定より作り続けていた楽曲を携えてレコーディング、ほぼ独力でアルバムを完成させ、1995年にフー・ファイターズ名義でリリースする。 同時にバンドメンバーを集め、ギタリストにはニルヴァーナのツアー・メンバーだったパット・スメアを、リズム隊にはサニー・デイ・リアル・エステイトのネイト・メンデル(ベース)とウィリアム・ゴールドスミス(ドラム)を勧誘。グロール自身はボーカルとギターを担当するフロントマンとなった。 1997年には2作目の『ザ・カラー・アンド・ザ・シェイプ』をリリース。このアルバムのレコーディングでドラムパートの出来に満足していなかったグロールは、ロサンゼルスで録り直し、結果的にほとんどの曲でグロールがドラムを叩いた。ドラムのゴールドスミスは、グロールに「レコードは自分が叩くがバンドには残って欲しい」と言われるも、これに納得がいかず脱退。程なくしてスメアもツアーばかりの生活にモチベーションを失い脱退、代わりに旧友のフランツ・ストールが加入するが、バンドとしての一体感を得る事が出来ずに短期間で脱退してしまう。 1999年にはグロールとメンデルに、新ドラマーのテイラー・ホーキンスを加えたトリオ編成で『ゼア・イズ・ナッシング・レフト・トゥ・ルーズ』を発表。同年にオーディションの末、ギタリストのクリス・シフレットが加わったことで、ようやくメンバーが固定化された。 2006年にはツアーメンバーとしてパット・スメアが参加し、後に正式にバンドへ復帰した。 2022年3月26日(現地時間25日)、ドラマーのテイラー・ホーキンスが亡くなったことが、バンドの公式SNSから発表された。享年50歳。バンドは南米ツアーの最中で、当日はコロンビアのボゴタでの公演を予定していた。死因は現時点では明らかになっていない。遺体からは薬物が検出された。[13][14][15] バンドは9月にイギリスとアメリカでテイラーのトリビュートライブを開催する。 メンバー※2023年5月時点 現ラインナップ創設メンバー主宰者。元ニルヴァーナ、元スクリーム。
ミー・ファースト・アンド・ザ・ギミー・ギミーズにJake Jackson名義で参加。元ノー・ユース・フォー・ア・ネイム。 使用機材はフェンダー・Chris Shiflett Telecaster Deluxe等。
創設メンバー。ニルヴァーナ元サポートメンバー。元ジャームス。
創設メンバー。元サニー・デイ・リアル・エステイト。
元ザ・ウォールフラワーズ。
旧メンバー
元スクリーム/ウール。
アラニス・モリセットの元サポートメンバー。 タイムライン![]() ディスコグラフィ→詳細は「フー・ファイターズの作品」を参照
受賞歴
グラミー賞
グラミー賞15回受賞はU2(22回受賞)に次いでグループ歴代2位。 ブリット・アワード
オーストラリア炭鉱事故2006年4月、オーストラリアのタスマニア州で、事故により炭鉱に作業員が閉じ込められる。地下に閉じ込められてしまったトッド・ラッセルとブラット・ウェブの2人は、レスキュー隊が渡してくれた音楽プレイヤーで、フー・ファイターズの曲を聴きながら救助を待ったという。当時この事故を知ったデイヴは、「彼らが助け出されたら、コンサートのチケットとビールを振舞いたい」と話した。その後、オーストラリア・ツアーでデイヴは2人と対面。約束通りビールを振る舞ったという。アルバム『エコーズ、サイレンス、ペイシェンス・アンド・グレイス』には、その出来事を歌った曲も収録されている。 来日公演1995/12/06 CLUB CITTA'川崎 1995/12/07 CLUB CITTA'川崎 1995/12/08 大阪 BAYSIDE Jenny 1995/12/09 大阪 松下IMPホール 1995/12/10 名古屋 Club Quattro 1995/12/11 池袋 HMV Metropolitan Plaza 1995/12/12 新宿 LIQUIDROOM 1997/07/26 FUJI ROCK FESTIVAL ’97 1998/01/21 赤坂BLITZ 1998/01/24 クラブダイアモンドホール 1998/01/25 大阪 松下IMPホール 1998/01/31 新宿 LIQUIDROOM 2000/07/28 FUJI ROCK FESTIVAL 00 2002/09/12 新宿 LIQUIDROOM 2003/02/07 ワールド記念ホール 2003/02/08 幕張メッセ 2005/05/26 台場 studio DREAM MAKER 2005/07/25 FUJI ROCK FESTIVAL 05 2006/12/01 東京厚生年金会館 2006/12/04 日本武道館 2006/12/05 大阪城ホール 2008/04/13 幕張メッセ 2008/04/15 Zepp Osaka 2008/04/16 Zepp Osaka 2015/07/14 FUJI ROCK FESTIVAL 15 2017/08/19 SUMMER SONIC OSAKA 17 2017/08/20 SUMMER SONIC TOKYO 17 脚注
関連書籍
外部リンク |
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