ブエルタ・ア・エスパーニャ2009
ブエルタ・ア・エスパーニャ2009(スペイン語: Vuelta a España 2009)は、ブエルタ・ア・エスパーニャの64回目のレース。2009年8月29日から9月20日まで行われた。 ステージ1997年以来久しぶりとなるオランダスタートとなり、また第3ステージではドイツを初通過。第4ステージではベルギーゴールと、今まで感じられてきたスペイン国内選手権という枠を打破しようとする試みが見られている。 第8ステージから用意される山岳ステージでは山頂ゴールもしくはそれに準じるコース設定が5つ用意され、ダウンヒルアタッカーによるまぐれ勝ちが成立しにくいハードなコース設定が行われた。第12ステージから第14ステージは山頂ゴール3連戦という過酷なレースとなった。 他2つのツールで行われたチームTTは行われず、初日はプロローグに近い4.8kmの個人TT、その後フラットステージな30km個人TT、10%を越える坂も用意された27.8kmセミ平地個人TTと、ブエルタらしい短距離TTとなり、山岳に強い選手が上位に来やすいセッティングに。 その他ステージも200km越えが4ステージ、最長距離225.5kmと短いステージが多いこと、休養日が前半寄りで後半10連戦になるのもブエルタらしいセッティングとなった。 最終日は例年通りマドリーでの周回コースとなった。 総合優勝争い昨年の総合トップ3アルベルト・コンタドール、リーヴァイ・ライプハイマー(共にアスタナ)、カルロス・サストレ(サーヴェロ・テストチーム)は揃って欠場。過去の優勝者も後述のヴィノクロフのみの出場となった。 その他の有力選手はドーピング問題により当年のツール・ド・フランス出場を阻まれたアレハンドロ・バルベルデ(ケス・デパーニュ)、同じくツール出場を見送って当レースに照準を合わせてきたサムエル・サンチェス(エウスカルテル・エウスカディ)、イヴァン・バッソ(リクイガス)、7月のツール・ド・フランスで総合2位となったアンディ・シュレク(チーム・サクソバンク)、前年のツール・ド・フランス総合2位のカデル・エヴァンス(サイレンス・ロット)、毎年ブエルタで好成績を収め前回4位と今回出場組では最高位となるエセキエル・モスケラ(シャコベオ・ガリシア)ら。 有力スプリンターの出場状況2009年、ジロ・ツールにてゴールスプリント勝負で向かうところ敵なしの強さを見せたマーク・カヴェンディッシュ(チーム・コロンビア=HTC)は出場せず。 スプリントステージの優勝争いやポイント賞争いの有力選手と目されるのは、ヴァッテンフォール・サイクラシックス優勝、エネコ・ツアーでステージ3勝と波に乗っているタイラー・ファーラー(ガーミン・スリップストリーム)、チーム・コロンビア=HTCのもう1人のエーススプリンターアンドレ・グライペル、ブエルタ通算7勝オスカル・フレイレ(ラボバンク)、2007年ポイント賞ダニエーレ・ベンナーティ(リクイガス)、トム・ボーネン(クイックステップ)、ゲラルト・シオレック(チーム・ミルラム)ら。ただしツールと違いどのステージでも共通のスプリントポイントが入るため、山岳ステージでの成績如何では、バルベルデやサンチェスなどの総合優勝争いの選手がポイント賞を獲得する可能性もある。 ヴィノクロフの復帰2006年の総合優勝者、アレクサンドル・ヴィノクロフはドーピングによる出場停止期間が明けてアスタナに復帰[1]。 リーダージャージブエルタ・ア・エスパーニャのリーダージャージのデザインは毎年変わるが、2009年はポイント賞の色が2008年の青色から明るい緑色に変更された。他の3賞(個人総合・山岳賞・複合賞)のジャージのデザインに変更はなかった。なお、2008年の大会終了後、2009年の個人総合時間賞ジャージが赤色(マイヨ・ロホ)に変更されると主催者から発表されていたが、2010年へと持ち越しになり、今年は両サイドに赤い帯が入るマイヨ・オロという形になった。 個人総合時間賞… レース概要開幕はオランダ・アッセンでの個人TT。カルロス・バレードがスタート台で落車するなどのアクシデントもあったが、ファビアン・カンチェラーラ(チーム・サクソバンク)が前評判通りの強さで圧勝してマイヨ・オロをまず獲得した。 道中で落車が相次ぎ、いきなり今年の厳しさが浮き彫りになった第2ステージはゲラルト・ツィオレックが僅差のスプリント争いを制した。第3ステージは伏兵グレッグ・ヘンダーソン(チーム・コロンビア=HTC)が勝利。コロンビアはさらに第4ステージで先頭集団で発生した大落車を辛くも回避し、コロンビア4人、クイックステップ3人によるスプリントを制したアンドレ・グライペルがブエルタ初勝利。グライペルは休息日を挟んだ第5ステージも制してマイヨ・オロをカンチェラーラから奪取した。第6ステージは意表のロングスプリントを見せたボルト・ボジッチ(ヴァカンソレイユ)が物にした。 第7ステージはバレンシアでの個人TT。カンチェラーラがまたも圧勝。再びマイヨ・オロに袖を通した。第8ステージは今大会初の山岳ステージであり、主催者が「最難関ステージ」と語る3級3つ、2級3つ、超級ゴール、しかも距離は200kmオーバーという過酷なステージ。残り3km過ぎで鮮烈なアタックを見せたダミアーノ・クネゴ(ランプレ)が実に5年半ぶりのグランツールステージ優勝。マイヨ・オロは僅差でエヴァンスの元へ。アンディ・シュレクがリタイア、アレクサンドル・ヴィノクロフも大きく遅れてマイヨ・オロ争いから脱落。ダウンヒル得意のサムエル・サンチェスがまさかの下り落車とハプニングの多いステージにもなった。第9ステージはグスタボ・セサル(シャコベオ・ガリシア)が今大会初の逃げ切り勝利。ゴール前のスプリントでボーナスタイムを獲得したアレハンドロ・バルベルデがマイヨ・オロを獲得した。 第10ステージは逃げ集団内のスプリントをサイモン・ジェラン(サーヴェロ・テストチーム)が制した。第11ステージはタイラー・ファーラー(ガーミン・スリップストリーム)が悲願のグランツール初勝利。 休息日明けからは山頂ゴール3連戦。第12ステージはライダー・ヘシェダル(ガーミン・スリップストリーム)が僅差の逃げ切り勝利。ヴィノクロフはここでリタイア。第13ステージは逃げに乗ったダヴィ・モンクティエ(コフィディス)が全ての山岳をトップ通過するという圧巻の内容でステージ優勝。カデル・エヴァンスが不運なパンクで大きくタイムロス。このステージだけで1分以上の遅れを取ってしまった。第14ステージはバルベルデが急斜面で遅れ、ここでいつもの勝てない病発動かと思われたが、「自分のリズムで上り続けた」と語るバルベルデはその後イヴァン・バッソ、エヴァンス、ロベルト・ヘーシンクを抜き、3位サンチェスから14秒遅れでゴールするという激走を見せた。ステージ自体はクネゴが2勝目。 第15ステージは25分という大逃げ容認となり、その先頭集団のなかで真っ先にアタックを決め独走状態に持ち込んだラース・ボーム(ラボバンク)が勝利。第16ステージはタイムオーバーによるスプリントポイント減算処置を受け、マイヨ・プントスがバルベルデからのレンタルとなってしまい、奪還に燃えるグライペルがスプリントを制して3勝目、中間スプリント2つも2位1位で獲得し、バルベルデから25ポイント差をつける事に成功する。第17ステージは緊迫の展開の末、アントニー・ルー(フランセーズ・デ・ジュー)がタイム差無しの逃げ切り勝ち。この日へーシンクが落車したことが後々響くこととなる。 第18ステージはフィリップ・ダイグナン (サーヴェロ・テストチーム)がロマン・クロイツィガー(リクイガス)との一騎討ちを制して勝利。第19ステージはフアン・ホセ・コーボ(フジ・セルベット)が絶好のタイミングでの飛び出しで優勝。第17ステージで落車し、怪我の影響の残るヘーシンクが大きく遅れてマイヨ・オロ争いから完全に脱落。ゴールスプリントで2位に入りボーナスタイム-12秒を獲得したバルベルデの総合優勝が大きく近づく。 最後の個人TTとなった第20ステージはデヴィッド・ミラー(ガーミン・スリップストリーム)が久々のグランツールステージ優勝。決して得意とは言えないTTを2位サンチェスから+31秒で凌いだバルベルデの優勝がここでほぼ確定する。エヴァンスもコモンウェルスゲームズTTチャンピオンの意地を見せバッソを上回り、表彰台に滑り込む。 最終第21ステージはグライペルが制して有終の美を飾った。 レビュー
日程参加予定チーム6月12日に、21のチームが招待されることが発表された。18のUCIプロチームのうち、チーム・カチューシャとフジ・セルベットが除外されたが[13]、その後のCASの裁定によりフジ・セルベットの出場が認められた[14]。これによる他チームの出場取り消しは行われず、22チームの参加となった。 スタートリスト
最終成績個人総合
ポイント賞
山岳賞
コンビネーション賞
チーム時間賞
脚注
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