ホルヘ・デラロサ
ホルヘ・アルベルト・デラロサ・ゴンザレス(Jorge Alberto de la Rosa Gonzalez, 1981年4月5日 - )は、メキシコ合衆国ヌエボ・レオン州モンテレイ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 愛称はジョージ(George)[1]。 経歴プロ入りとマイナー時代1998年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと契約してプロ入り。 その間、メキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズを経由してボストン・レッドソックス傘下でのプレーの後、2003年11月28日にカート・シリングとのトレードで、ブランドン・ライオン、ケイシー・フォッサム、マイク・ゴスと共にダイヤモンドバックスへ復帰。 ブルワーズ時代2003年12月1日にリッチー・セクソン、シェーン・ナンス、ヌーキー・バーナーとのトレードで、クレイグ・カウンセル、チャド・モーラー、ライル・オーバーベイ、クリス・カプアーノ、ジュニア・スパイビーと共にミルウォーキー・ブルワーズへ移籍した[2]。 2004年8月14日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャーデビュー。 2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシックWBCのメキシコ代表に選出された[3]。 ロイヤルズ時代2006年6月25日にトニー・グラファニーノとのトレードで、カンザスシティ・ロイヤルズへ移籍した。 ロッキーズ時代2008年4月30日にラモン・ラミレスのトレードによる後日発表選手としてコロラド・ロッキーズへ移籍した。 2009年には16勝を記録した。 2010年オフに2年2150万ドル、3年目は選手側に選択権がある1100万ドルのオプションで契約を更新した。 2011年は5月末に肘を痛め、トミー・ジョン手術を受けてシーズン終了となった。 2012年は後半戦に復帰したが、3試合の登板に終わった。同オフに選手オプションを行使し、2013年の残留が決まり、さらに球団側に選択権のある1100万ドルの4年目の契約を盛り込んだ。 2013年オフに球団側オプションが行使され、残留が決まった。 2014年9月3日、ここまでチームの勝ち頭の13勝、1602⁄3投球回、防御率4.26などの活躍をしていたため、2016年までとなる2年2500万ドルで契約を延長した。 2015年は26試合に先発登板して9勝7敗、防御率4.17、134奪三振を記録した。 2016年は27試合(先発24試合)に登板して8勝9敗、防御率5.51、108奪三振を記録した。オフの11月3日にFAとなった[4]。 ダイヤモンドバックス時代2017年2月19日にダイヤモンドバックスとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[4][5]。開幕前の2月8日に第4回WBCのメキシコ代表に選出された[6]が、3月2日に辞退した[7]。3月28日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[8]。この年は2005年以来12年ぶりにリリーフに専念して65試合に登板したが、3勝1敗、防御率4.21と今ひとつの成績に終わった。オフの11月2日にFAとなった。 2018年2月16日にダイヤモンドバックスとマイナー契約で合意し[9]、スプリングトレーニングに招待選手として参加した。3月25日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[4]。シーズンでは開幕から42試合に登板していたが、7月31日にジェイク・ディークマンとブラッド・ジーグラーの加入に伴ってDFAとなり[10]、8月4日に自由契約となった[4]。 カブス時代2018年8月10日にシカゴ・カブスと契約を結んだ[11]。オフの10月29日にFAとなった[4]。 ロッキーズ傘下時代2019年4月5日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだが[12]、腹斜筋の怪我のため一度も登板することなく、6月14日に自由契約となった[13]。 詳細情報年度別投手成績
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia