プームタム・ウェーチャヤチャイ

プームタム・ウェーチャヤチャイ
ภูมิธรรม เวชยชัย
生年月日 (1953-12-05) 1953年12月5日(71歳)
出生地 タイ王国の旗 タイ バンコク プラナコーン区
出身校 チュラロンコーン大学
所属政党タイ共産党→)
民主党→)
タイ愛国党→)
タイ貢献党
内閣 セター内閣英語版
ペートンターン内閣英語版
在任期間 2024年8月14日 - 2024年8月18日
2025年7月3日 - 現職
国王 ラーマ10世
在任期間 2023年9月1日 - 現職
首相 セター・タウィーシン
ペートンターン・シナワット
内閣 ペートンターン内閣
在任期間 2025年6月30日 - 現職
内閣 ペートンターン内閣
在任期間 2024年9月3日 - 2025年6月30日
内閣 セター内閣
ペートンターン内閣
在任期間 2023年9月1日 - 2024年9月3日
テンプレートを表示

プームタム・ウェーチャヤチャイタイ語: ภูมิธรรม เวชยชัย, ラテン文字転写: Phumtham Wechayachai, 1953年12月5日 - )は、タイ王国政治家。現在、同国首相代行及び副首相英語版内務大臣セター内閣英語版ペートンターン内閣英語版で副首相兼商務大臣国防大臣を歴任。

セター・タウィーシン首相が失職した2024年8月14日から同年8月18日まで、憲法の規定に基づき副首相として首相代行を務めた。2025年7月1日ペートンターン・シナワット首相が憲法裁判所から職務停止を命じられると、7月3日から再び首相代行を務めている。

経歴

1953年12月5日、バンコクプラナコーン区生まれ。タウィータピセーク高校を卒業し、1975年にチュラロンコーン大学政治学部で政治学の学士号を取得し、 1984年には政治学の修士号を取得した。1997年から1998年までシン・コーポレーションの最高経営責任者を務めた。

政治的には、1977年から1978年までタイ共産党員だった。その後、 1978年から1997年まで民主党員として活動し、その後にタイ愛国党に入党した。

タクシン・シナワット首相の顧問を務め、第2次タクシン内閣で運輸副大臣に任命された。

2006年タイ軍事クーデターが起こると、プームタムは5年間公職からの追放処分を受けた。その後政界に復帰し、 2012年から2023年までタイ貢献党の幹事長兼副党首を務めた。

2023年のタイ総選挙後、プームタムはセター内閣の副首相兼商務大臣に任命された。

2024年4月28日パーンプリー・パヒッターヌコーン外相の辞任に伴い、プームタムが外務大臣代行に任命された。4月30日マリット・サンギアムポンが後任に就任した[1]

2024年8月14日、憲法裁判所がセター・タウィーシン首相に対して解職命令を下したため、失職したセターに代わってプームタムが首相代行を務め、8月18日にペートンターン・シナワットが後任の首相に就任するまで在職した[2][3]

2025年3月、プームタムはタイによるウイグル族40人の中国への強制送還に関して、新疆ウイグル自治区党書記の馬興瑞と会談した。

2025年6月18日、ペートンターンが国境問題を抱えるカンボジアフン・セン前首相と電話会談した内容がリークされ、これに伴いペートンターンが提案した内閣改造は7月1日に国王ラーマ10世より承認されたが[4]、同日、憲法裁判所はフン・センとの会談内容を問題視した上院議員36名より提出されていたペートンターンに対する失職請求を受理し、判決までの間、首相としての職務を停止することを命じた。

内閣改造においてプームタムは副首相に留任したものの、国防大臣から内務大臣へ異動となり、再度国王による就任式を経なければならず、従って副首相の権限を法的に行使できなかった[5]。彼の就任式までスリヤ・ジュンルンルアンキット英語版副首相が首相代行を務め、7月3日に就任式を終えたプームタムが筆頭閣僚たる副首相として首相代行に就任した[6][7]

脚注

Prefix: a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9

Portal di Ensiklopedia Dunia

Kembali kehalaman sebelumnya