ベルデイム
ベルデイム(Beldame、1901年 - 1923年)はアメリカ合衆国の競走馬、繁殖牝馬。ベルデームとも表記されることがある。1956年にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選出された。20世紀のアメリカ名馬100選98位。 経歴初代アメリカジョッキークラブ会長であるオーガスト・ベルモント2世によってケンタッキー州レキシントンにあるナーサリースタッドで生産された。父オクタゴンはブルックリンダービーやトボガンハンデキャップ連覇などの実績があるベルモントの生産馬である。母ベラドナはエプソムダービー馬ハーミットを父に持ち、10号族のc分岐の祖となるボニードゥーンを母に持つ良血馬である。 戦績1903年はヴァーナルステークスなど3勝の成績を残す。始めはジョン・ハイランド厩舎に預けられるが、ベルモントと意見のくい違いがあり、フレッド・ブリュー厩舎に転厩する。同時にベルモントは本業が忙しくなりベルデイムはニュートン・ベニントンの所有馬として走ることになる。 1904年は緒戦のカーターハンデキャップでは古馬牡馬との競走となったが2馬身差で快勝、次走のメトロポリタンハンデキャップでは3着に敗れたもののその後はレディースステークス、ガゼルステークス、マーメイドステークスを含む5連勝を記録する。レディースステークスでは発走前に放馬するアクシデントがありながら勝利していた。テストハンデキャップでは2年連続年度代表馬となっていたハーミスに敗れ連勝は止まったが、アラバマステークスや牡馬相手となるサラトガカップなど6連勝を達成、最優秀3歳牝馬に選出され3歳牝馬としては初の全米年度代表馬となった。 1905年は再びベルモントの所有馬として走るが、各競馬場で重い斤量を背負わされ、10戦して2勝にとどまる。サバーバンハンデキャップではトップハンデで勝利するなど活躍し、8月のサラトガカップ2着を最後に引退、繁殖入りした。ベルデイムは生涯で102,570ドルの賞金を稼ぎ、ミスウッドフォード、フィレンツェに続く牝馬として3頭目の100,000ドルホースとなった。 1955年にデラウェアパーク競馬場で行われたアメリカ調教師協会の会員による投票ではアメリカ競馬史上7番目に偉大な牝馬とされ、翌年の1956年にはアメリカ競馬名誉の殿堂博物館に殿堂馬として選出された。1939年にアケダクト競馬場でベルデイムを記念しベルデイムハンデキャップが創設され、現在はベルモントパーク競馬場でベルデイムステークスの名で行われている。 年度別競走成績
血統表
外部リンクNational Museum of Racing - Hall of Fame
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