ベンジャミン・バサースト (英語 : Benjamin Bathurst FRS 、1692年 6月25日 洗礼 – 1767年 11月5日 )は、グレートブリテン王国 の政治家。1713年から1727年と1728年から1767年まで庶民院 議員を務めた[ 1] 。合計で50年以上議員を務めたにもかかわらず、議会で演説した記録はなかった[ 2] 。初代バサースト伯爵アレン・バサースト と庶民院議員ピーター・バサースト (英語版 ) は兄にあたる[ 1] 。
生涯
サー・ベンジャミン・バサースト (英語版 ) (1639年頃 – 1704年)とフランシス・アプスリー (英語版 ) (1653年 – 1727年、アレン・アプスリー (英語版 ) の娘)の息子として生まれ、1692年6月25日に洗礼を受けた[ 1] 。初代バサースト伯爵アレン・バサースト と庶民院議員ピーター・バサースト (英語版 ) は兄にあたる[ 1] 。父がアン王女 (後のアン女王)の廷臣だったため、兄ピーターとともにアンの息子グロスター公ウィリアム (英語版 ) の遊び仲間として宮廷に招かれた[ 1] 。1699年よりイートン・カレッジ で教育を受けた後[ 1] 、1708年6月30日にオックスフォード大学 トリニティ・カレッジ に入学した[ 3] 。1704年に父が死去すると、リドニー (英語版 ) とミックスベリー (英語版 ) にある邸宅を相続した[ 1] 。
1713年イギリス総選挙 でサイレンセスター選挙区 (英語版 ) から出馬、兄アレンの影響力により得票数2位(353票)で当選した[ 4] 。バサースト家はトーリー党 の家系であり、ベンジャミンもトーリー党に属したが、リチャード・スティール (英語版 ) の議会追放をめぐってはホイッグ党 に同調して反対票を投じた[ 1] 。1715年イギリス総選挙 と1722年イギリス総選挙 では無投票で再選した[ 5] 。ジョージ2世 即位後の1727年イギリス総選挙 では兄アレンが伯爵への叙爵を望み、ベンジャミンの代わりにもう1人の兄弟ピーターを出馬させたが、アレンは代わりとしてベンジャミンをグロスター選挙区 (英語版 ) から出馬させた[ 6] 。ホイッグ党の支配するグロスターの地方自治体は自由市民(freeman )を大幅に増やしてホイッグ党候補への投票を増やそうとしたが、結果は候補者4名の票数が全員900票台(ベンジャミンは944票で得票数1位)だったため、4人全員の当選が宣告された(いわゆるdouble return [ 7] )。これにより選挙の行方は庶民院に委ねられたが、ここで妥協がなされ、トーリー党とホイッグ党が1候補ずつ当選するという結果になった[ 7] 。このときはバサーストがトーリー党候補として、チャールズ・セルウィン (英語版 ) がホイッグ党候補として当選した[ 7] 。1734年イギリス総選挙 では妥協が続き、チャールズ・セルウィンの代わりにその兄ジョン・セルウィン (英語版 ) が当選、バサーストは905票(得票数2位)で再選した[ 7] 。1741年イギリス総選挙 ではバサーストがはじめ869票(得票数3位)だったが、再集計の結果は869票(得票数2位)になり、無事再選を果たし、1747年イギリス総選挙 では無投票で再選した[ 7] 。1754年イギリス総選挙 ではグロスター選挙区から出馬せず、代わりに第4代ボーフォート公爵チャールズ・サマセット の支持を受けてモンマス・バラ選挙区 (英語版 ) から出馬、無投票で当選した[ 2] [ 8] 。1761年イギリス総選挙 でも無投票で再選した[ 8] 。1754年までは常に野党に同調して投票し[ 6] 、ビュート伯爵内閣 期(1762年 – 1763年)に七年戦争 予備講和条約に投票せず、グレンヴィル内閣 期(1763年 – 1765年)に一般逮捕状(general warrant )に関する採決で野党に同調して投票、第1次ロッキンガム侯爵内閣 (1765年 – 1766年)では印紙法 廃止をめぐる採決で投票しなかった[ 2] 。合計で50年以上議員を務めたにもかかわらず、議会で演説した記録はなかった[ 2] 。
1731年12月9日、王立協会フェロー に選出された[ 9] 。
1767年11月5日に死去した[ 2] 。
家族
1713年12月17日、フィネッタ・プール(Finetta Poole 、1738年2月27日没、ヘンリー・プールの娘[ 6] )と結婚、22子をもうけた[ 1] 。
トマス(1725年 – 1791年11月9日) - アン・ファザカリー(Anne Fazakerly 、トマス・ファザカリーの娘)と結婚[ 10]
プール(Poole 、1725年以降 – 1804年5月5日) - 子供なし[ 10]
アン - 1752年1月25日、チャールズ・ブラッグ(Charles Bragge )と結婚、子供あり[ 11]
1741年10月22日、キャサリン・ウィットフィールド(Catherine Whitfield 、1794年没、ローレンス・ブロドリックの娘、ウィリアム・ウィットフィールドの未亡人)と再婚、14子をもうけた[ 1] 。
出典
^ a b c d e f g h i j Watson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "BATHURST, Benjamin (1692-1767), of Lydney, Glos. and Mixbury, Glos." . In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline ; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧 。
^ a b c d e Brooke, John (1964). "BATHURST, Benjamin (?1691-1767), of Mixbury, Oxon. and Lydney, Glos." . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧 。
^ Foster, Joseph , ed. (1891). "Barrowby-Benn" . Alumni Oxonienses 1500-1714 (英語). Oxford: University of Oxford. pp. 79–105.
^ Watson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "Cirencester" . In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline ; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧 。
^ Watson, Paula (1970). "Cirencester" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧 。
^ a b c Newman, A. N. (1970). "BATHURST, Benjamin (?1691-1767), of Lydney, Glos." . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧 。
^ a b c d e Matthews, Shirley (1970). "Gloucester" . In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧 。
^ a b Thomas, Peter D. G. (1964). "Monmouth" . In Namier, Sir Lewis ; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月24日閲覧 。
^ "Bathurst; Benjamin (1692 - 1767)" . Record (英語). The Royal Society . 2021年2月24日閲覧 。
^ a b Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage, and Knightage, Privy Council, and Order of Preference (英語). Burke's Peerage Limited. 1963. p. 257.
^ Burke, Sir Bernard (1898). A Genealogical and Heraldic Dictionary of the Landed Gentry (英語). Vol. 1 (9th ed.). London: Harrison & Sons. p. 84.
^ Aston, Nigel (23 September 2004). "Bathurst, Henry". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/1697 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
外部リンク