ペスキエーラ・デル・ガルダ
ペスキエーラ・デル・ガルダ(伊: Peschiera del Garda)は、イタリア共和国ヴェネト州ヴェローナ県にある、人口約11,000人の基礎自治体(コムーネ)。 ガルダ湖南端に位置し、ミンチョ川が流れ出す地点にある。ヴェネト州最西端のコムーネであり、ロンバルディア州と境を接している。ミンチョ川の中の島には、オーストリア帝国がロンバルド=ヴェネトを統治していた時代に修築された要塞がある。 地理位置・広がりヴェローナ県西端のコムーネで北はガルダ湖に面し、南はマントヴァ県、西にブレシア県と接する。ペスキエーラ・デル・ガルダの街は、県都ヴェローナの西約23km、マントヴァの北北西約32km、ブレシアの東南東約39km、州都ヴェネツィアの西約127kmに位置する。 ![]() 隣接コムーネ隣接するコムーネは以下の通り。括弧内のBSはブレシア県、MNはマントヴァ県所属を示す。
気候分類・地震分類気候分類では、zona E, 2381 GGに分類される[4]。 また、イタリアの地震リスク階級 (it) では、zona 2 (sismicità media) に分類される[5]。 行政分離集落ペスキエーラ・デル・ガルダには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
歴史![]() ローマ時代、ガリア・キザルピナに築かれた街 Ardelica は、 Lacus Benacus (ガルダ湖)の南東端の Mincius 川(ミンチョ川)が流れだす地点、すなわち現在のペスキエーラ・デル・ガルダのある場所にあった。ローマ時代に描かれた地図タブラ・ペウティンゲリアナには、 ブリクシア(ブレシア)とヴェローナの間に、Ariolica という名で描かれている。大プリニウスの『博物誌』には、Arilica として記されている。 ペスキエーラの要塞は、15世紀以降北イタリアで繰り広げられた軍事行動(たとえばナポレオン戦争)の中で重要な役割を果たした。オーストリア帝国がロンバルド=ヴェネトを統治していた時代には、クアドリラテロ (Quadrilatero) と呼ばれる4つの要塞都市群(マントヴァ、レニャーゴ、ヴェローナ、ペスキエーラ)の西北の角をなしていた。 第一次イタリア独立戦争中の1848年5月30日、サルデーニャ王国軍が6週間の攻防ののちオーストリアから奪取している。 ペスキエーラは軍事刑務所の所在地としても知られていた(2002年に閉鎖)。 社会経済・産業ペスキエーラは、イタリアの全国ワイン都市協会 (Associazione nazionale città del vino) に加盟している。 文化・観光世界遺産ベルヴェデーレ(Belvedere)とフラッシーノ(Frassino)にある水上住居の遺跡は、多国間にまたがるユネスコの世界遺産「アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群」の一部を構成している(ID1363-107)。 また、ペスキエーラ・デル・ガルダの要塞都市として、多国間にまたがる世界遺産「16世紀から17世紀のヴェネツィアの防衛施設群:スタート・ダ・テッラと西スタート・ダ・マール」の一部を構成している(ID1533)。 自然・環境フラッシーノ湖 (it:Lago del Frassino) は、キンクロハジロの貴重な越冬地である。2012年に出された欧州連合の報告書では、その環境が危機にさらされているとしている。 交通![]() ![]() 鉄道
道路
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人物著名な出身者脚注
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