ホセ・ルイス・サンマルティン・マト
ホセルことホセ・ルイス・サンマルティン・マト(José Luís Sanmartín Mato "Joselu"、1990年3月27日 - )は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州シュトゥットガルト出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。アル・ガラファ所属。スペイン代表。 クラブ経歴スペイン人の両親の下、西ドイツのシュトゥットガルトに生まれ、4歳の時にドイツを離れてスペインのガリシア州へ帰国した[1]。 2002年からセルタ・デ・ビーゴの下部組織に入団し、2004年からはセルタのBチームでプレー。2009年にはトップチームデビューも果たした。2009年夏の移籍市場でレアル・マドリード・カスティージャに移籍した。2009-10シーズンはセルタにレンタルされ、トップチームで24試合に出場し、4得点を挙げた。 翌シーズンはカスティージャへ加入し、シーズン14得点を記録した。レアル・マドリードのリーグ最終節であるUDアルメリア戦にて後半85分にカリム・ベンゼマとの交代でプリメーラ・ディビシオンデビュー、その2分後にはクリスティアーノ・ロナウドのアシストから得点も挙げた[2]。2011年12月20日のコパ・デル・レイSDポンフェラディーナで2度目となるトップチームでの出番を得ると、後半78分に再びゴールを奪った。 2011-12シーズンは、36試合で26得点(シーズン19得点、プレーオフ7得点)を記録、セグンダ・ディビシオンBの得点王となり、セグンダ・ディビシオンへの昇格に貢献した。 2012年8月、ドイツ・ブンデスリーガのTSG1899ホッフェンハイムへ完全移籍[3]。 2013年7月、アイントラハト・フランクフルトへレンタル移籍[4]。 2014-15シーズンはハノーファー96へ完全移籍。 2015年6月16日、ストーク・シティFCへ完全移籍[5]。2017年から2シーズンはニューカッスル・ユナイテッドFCでプレー。 2019年7月15日、デポルティーボ・アラベスと3年契約を締結した[6]。アラベスでは在籍3シーズン全てでプリメーラ2桁得点を記録し、プリメーラ通算36得点はアラベスの歴代1部通算最多得点記録となっている[7]。 2022年6月27日、RCDエスパニョールと3年契約を締結した[8]。2022-23シーズンはスペイン人としてリーグ最多得点となる16得点を挙げ、自身はサラ賞を受賞したものの、奮闘虚しくクラブはセグンダ・ディビシオンへと降格した[9]。 2023年6月19日、古巣レアル・マドリードへのレンタル移籍することが発表された[10]。契約期間は1年間で、シーズン終了後の完全移籍オプション付き。控えの立場だったが、出場機会を得た試合では貢献した[11]。UEFAチャンピオンズリーグ準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦2ndレグでは、途中出場で88分に同点弾、91分に決勝点を決める劇的な活躍で、チームの逆転勝利に貢献した[11]。 2024年6月、レアル・マドリード側はホセルに対して1年契約の完全移籍オプションの行使をオファーしたが、ホセル本人はエムバペ、エンドリッキ加入などで出場機会を得る事は難しいと判断し、国外移籍を希望したと報じられる。6月28日、レアル・マドリードは移籍金150万ユーロ(当時のレートで2億6000万円)での完全移籍オプションの行使と同時にホセルのカタール・スターズリーグのアル・ガラファ移籍を発表した[12]。移籍金は同額の150万ユーロで契約期間は2年間+1年間の延長オプション付、年俸は1700万ユーロ(約29億円)と報じられてる[13]。 代表経歴2008年から2年間はスペインの各世代別代表に招集されており、2009年にはU-19スペイン代表としてUEFA U-19欧州選手権2009に出場した。 2023年3月17日、UEFA EURO 2024予選を戦うスペイン代表から初招集を受けた[14]。3月25日、予選のノルウェー代表戦にて、81分に途中交代でスペイン代表デビューを飾ると、直後の3分間で代表初得点を含む2得点を挙げた[15]。 人物同じレアル・マドリードの下部組織出身のダニ・カルバハルの妻とホセルの妻は、双子の姉妹のため、カルバハルとは義理の兄弟にあたる[16]。 所属クラブ
代表歴出場大会
試合数
得点数
獲得タイトルクラブ
代表
個人
脚注
関連項目外部リンク |
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