ホンダ・ターボチャージャー・インディV8エンジン
ホンダ・ターボチャージャー・インディV8エンジン(Honda turbocharged Indy V8)は、1986年・1987年及び1994年から2002年までCARTに参戦するために、ホンダが設計・開発・製造したシングルターボ付き2.65 L V型8気筒のインディカー・レースエンジンである[1][2][3][4][5][6]。 背景ブラバム・ホンダジャック・ブラバムとホンダとの長年にわたる関係の結果、ジャッドはロン・トーラナック率いるラルトチームと協力して、ホンダのF2復帰用のエンジン(ホンダ・RA260E)を開発するために雇われた。 1984年シーズン末にF2が消滅した後も、ジャッドはホンダ向けに新エンジンの開発を続けた。最初は、ホンダのCART参戦用に作られたターボチャージャー付きV8エンジンのジャッド・AVで、1986年半ばにギャレス・レーシングと同チームのドライバーのジェフ・ブラバムによってCARTで初めて使用された。当初はブラバム・ホンダのバッジが付けられ、第10戦ミシガンでで4位入賞を果たした。1987年、このエンジンはインディアナポリス500で初めて使用されると、ポコノとロード・アメリカで2位、シーズン最終戦マイアミで3位に入った。 このエンジンは、その信頼性と優れた燃費(特に500マイルレースにおいて)で知られるようになったが、当時の最高峰エンジンであるイルモア・シボレーと比べると、パワー面では明らかに劣っていた。 1988年、ボビー・レイホールを擁するトゥルースポーツが主要チームとして引き継ぎ、シーズン中にエンジンから「ホンダ」の名称が削除された。 本エンジンは後に自然吸気化され、F3000参戦用のエンジン(ジャッド・BV→ホンダ・RA386E→無限・MF308)のベースとなった。 HPD→詳細は「ホンダ・レーシング USA § CART/インディカー・シリーズ」を参照
1992年限りでホンダ(ホンダF1)がフォーミュラ1(F1)から撤退するのと入れ替わるように、ホンダは1994年よりCARTへのワークスエンジン供給を開始。エンジンの開発・製造拠点としてホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD、現在のホンダ・レーシング USA)が設立され、日本からも田辺豊治らのエンジニアがHPDに派遣され開発に関わった。HPDがインディカー・シリーズ(IRL)に供給先を変更することに伴い、2002年限りでCARTへの供給は終了した。 搭載車ブラバム・ホンダ時代HPD時代
脚注
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