マイク・ダンリービー・ジュニア
マイケル・ジョセフ・ダンリービー・ジュニア(Michael Joseph Dunleavy Jr., 1980年9月15日 - )は、アメリカ合衆国・テキサス州フォートワース出身の元プロバスケットボール選手。NBAのゴールデンステート・ウォリアーズなどに所属し、現在はウォリアーズのGMを務めている。身長206cm、体重105kg。主なポジションはスモールフォワード。父親は元バスケットボールコーチで同姓同名のマイク・ダンリービー。 経歴学生時代イエズス会系列の高校卒業後はバスケットボールの名門デューク大学へ入学。オールラウンドな活躍に、コーチKことマイク・シャシェフスキーには「グラント・ヒル以来、最も多才な選手」と言わしめた。 NBAゴールデンステート・ウォリアーズ2002年のNBAドラフトにて1巡目全体3位でゴールデンステート・ウォリアーズから指名された。ルーキーイヤーとなる2002-03シーズンから82試合フル出場(内3試合先発)を果たした。2年目の2003-04シーズンには先発の座を確保し、成績を上昇させた。 2005年11月にウォリアーズとの5年総額4,400万ドルの延長契約に合意した[1]。チームは他にも2004年オフにはアドナル・フォイルと、そしてダンリービーと時を同じくしてトロイ・マーフィーとも高額契約を結んだため、チームの財政事情を圧迫した。このような出来事から、2005-06シーズンはファンから厳しい目で評価されるようにもなった(また、2005-06シーズンは前年より成績が下降したので、それが拍車をかけている)。 2006-07シーズンはヘッドコーチにドン・ネルソンが就任。方針から、当初はパワーフォワードへのコンバートが予想されたが、最終的にはスモールフォワードに落ち着いた。しかしながら2007年1月17日、アル・ハリントン、スティーブン・ジャクソン、シャルーナス・ヤシケヴィチュスとの交換で、トロイ・マーフィー、キース・マクリード、アイク・ディオグと共にインディアナ・ペイサーズへ移籍した。 インディアナ・ペイサーズ![]() ペイサーズに移籍して2年目の2007-08シーズン、ダンリービーはシューターとしての才能を開花させるようになる。スリーポイントシュート成功率42.4%は彼のキャリア平均を大きく上回る数字であると共に、リーグ全体でも11位にランクされた。得点アベレージもキャリア平均を大きく上回る19.1得点を記録し、故障者が続出し苦境に立たされていたチームを、ダニー・グレンジャーと共に支えた。 ミルウォーキー・バックス2011年12月10日にミルウォーキー・バックスへ移籍し[2]、控えの得点源として貢献した2012-13シーズンには3ポイント成功率42.8%を記録し、プレーオフにも進出したが、マイアミ・ヒートにスイープ負けを喫してシーズンを終えた。 シカゴ・ブルズ2013年7月10日にシカゴ・ブルズとの2年総額600万ドルの契約に合意した[3][4]。2013-14シーズンは、久々に先発出場が増え、プレーオフも全試合に先発出場し1試合平均13.2得点、3ポイント46.2%と好成績を残したが、デリック・ローズ不在のブルズに1stラウンドの壁は厚く、1勝したのみで下位シードのワシントン・ウィザーズに敗退した。 2015年1月1日のデンバー・ナゲッツ戦で右足首を負傷し、1ヶ月以上の欠場を余儀なくされた[5]。 7月14日にブルズとの3年総額1,440万ドルの再契約に合意した[6][7]。 クリーブランド・キャバリアーズ2016年7月7日にアルベルト・ミラジェスのドラフト交渉権とのトレードで、ウラジーミル・ヴェレミエンコのドラフト交渉権と共にクリーブランド・キャバリアーズへ移籍した[8]。 アトランタ・ホークス2017年1月7日にカイル・コーバーとのトレードで、モー・ウィリアムズ、将来のドラフト1巡目指名権と共にアトランタ・ホークスへ移籍した[9]。 引退後2018年にウォリアーズのスカウトに就任し、翌年9月に同チームのアシスタントGMに就任した[10]。 2023年6月16日に、前GMのボブ・マイヤーズが同30日に退任するのに伴い、ウォリアーズのGMに昇格した。 個人成績
NBAレギュラーシーズン
プレーオフ
脚注
外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia