マクシミリアン・ブーク
マクシミリアン・ブーク(Maximillian Buhk, 1992年12月9日 - )はドイツ・ラインベーク出身のレーシングドライバー。 GT3レースを中心に活動しているドライバーであり、ブランパンGTシリーズ(現在はGTワールドチャレンジ・ヨーロッパに改称)では2016年にチャンピオンに輝いたほか、2015年にスプリントシリーズ、2013年には耐久シリーズでタイトルを獲得している。 経歴初期の経歴ブークは2004年にカートを始め、ドイツ国内の各シリーズで活躍。2009年までにKF2クラスに昇格し、ADAC カートマスターズに参戦して5位に入賞した。 2010年、ブークはKUGモータースポーツからADAC フォルメル・マスターズに参戦し、四輪レースでのキャリアを開始した。初年度は34ポイントを獲得し、ランキング12位となった。翌年も同チームから参戦を続けたが、第6戦からはマ・コン・モータースポーツに移籍してシーズンを戦った。後半戦に2度の表彰台を獲得し、ランキングは9位に上昇した。 グランドツーリング2年間のフォーミュラでのキャリアの後、2012年にブークはGTレースに転向した。デビュー戦となったドバイ24時間レースでは2位表彰台を獲得したほか、ADAC GTマスターズとFIA GT3ヨーロッパ選手権の2つの選手権に参戦した。GT3ヨーロッパ選手権ではチームメイトのドミニク・バウマンと共に6勝を挙げてシーズンを支配し、参戦1年目でチャンピオンを獲得した[1]。 ![]() 2013年、FIA GT3ヨーロッパ選手権とFIA GT1世界選手権が統合して発足したFIA GTシリーズにHTPモータースポーツからアロン・デイとコンビを組んで参戦した。GTマスターズではマクシミリアン・ゲッツと共にシーズンを通して安定した成績を残してタイトルを争った。最終戦では14周目にマシントラブルでリタイアし、タイトルは逃したものの、ランキング3位となった[2]。 ブランパン耐久シリーズにもHTPモータースポーツから第3戦ポールリカールより参戦し、翌戦のスパ24時間レースではゲッツ、ベルント・シュナイダーの組み合わせでマンタイ150号車との戦いを制して初優勝を果たした[3]。最終戦ニュルブルクリンクでもレースの大半をリードし、最終ピット時にブレーキを交換したために首位をマキシム・マルタンがハンドルを握るマルクVDSの3号車に譲ったものの、残り30分で首位を奪還して優勝。2013年のタイトルを決めた[4]。 2014年もブランパンGTシリーズの両シリーズとGTマスターズの3選手権に参戦したが、GTマスターズのスロバキアリンク戦でブークはマーシャルの指示に従わずにマシンを動かしたとして、DMSBからライセンスの一時停止処分を受けた[5]。このため併催されたブランパンスプリントシリーズの欠場に加え、GTマスターズにはシーズン終了まで参戦しなかった。9月に処分は却下され、スプリントシリーズには翌戦のアルガルヴェから復帰したものの、チームメイトのゲッツと共にスプリントシリーズのチャンピオンを獲得することはできなかった[6]。 2015年、所属するHTPモータースポーツが使用車両をメルセデスからベントレー・コンチネンタル GT3に変更したことからベントレーのファクトリードライバーとなり、耐久シリーズではMスポーツからシリーズに参戦した[7]。ヴィンセント・アブリルとコンビを組んだスプリントシリーズでは3勝を挙げてチャンピオンに輝いたが、耐久シリーズでの不振が響き、総合タイトルはアウディのロビン・フラインスに奪われた。 HTPモータースポーツは翌年に使用車両をメルセデスAMG・GT3へと再度変更したため、ブークも一年限りでベントレーを離れ、再びメルセデスのハンドルを握ることとなった。この年、ブークは2012年にGT3ヨーロッパ選手権のタイトルを獲得した際のチームメイトであるバウマンと車を共有し、耐久カップではジャゼマン・ジャーファーがラインナップに加わった[8]。両方のシリーズでチャンピオンを逃したものの、耐久カップで3位、スプリントカップで2位の好成績を収めて初の総合タイトルを獲得した。また、ニュルブルクリンク24時間レースに初挑戦している。 2017年にはチームメイトがフランク・ペレラに変更となったが、再び安定したシーズンを送り、両方のシリーズで3位となった。総合部門ではチャンピオンとなったランボルギーニのミルコ・ボルトロッティとクリスチャン・エンゲルハートに次ぐ、自身3度目のランキング2位となった。この年よりGTマスターズに本格的に復帰したほか、ブランパンGTシリーズ・アジアではメルセデスAMGのファクトリードライバーとして4戦にスポット参戦し、グループM・レーシングのハンター・アボットのタイトル獲得をサポートした。 2018年、GTマスターズでは引き続きHTPモータースポーツに所属したが、ブランパンGTシリーズ・耐久カップの参戦チームが同じくメルセデスを使用するストラッカ・レーシングとなった[9]。また、ストラッカと共に世界を転戦するインターコンチネンタルGTチャレンジにエントリーした。最終戦カリフォルニア8時間レースではサンエナジー1・レーシングから参戦し、3位表彰台を獲得してチームメイトのトリスタン・ヴォーティエが王者を獲得するのを助けた[10]。 レース戦績FIA GT3ヨーロッパ選手権
ADAC GTマスターズ
FIA GTシリーズ/ブランパンGTシリーズ・スプリントカップ
ブランパン耐久シリーズ/GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ・耐久カップ
インターコンチネンタルGTチャレンジ
ドイツツーリングカー選手権
(key) スパ・フランコルシャン24時間レース
ニュルブルクリンク24時間レース
バサースト12時間レース
脚注
外部リンク
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