マルコス・アントニオ・メネゼス・ゴドイ
マルコス・アントニオ・メネゼス・ゴドイ(Marcos Antonio Menezes Godoi、1966年12月18日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワードまたはミッドフィールダー(攻撃的MF)。ヤンマー時代の登録名は「マルコス」。松下やガンバ大阪時代の登録名は「ランジェ」。 来歴ブラジルのサンパウロFCでフォワードとして契約したが出場機会には恵まれず[2]。1987年7月、日本サッカーリーグ (JSL) 1部のヤンマーディーゼル(現・セレッソ大阪)に移籍した[2]。『プラカール』誌によれば当初は2年間のレンタル移籍で、ヤンマー側はアマチュアであり交渉の際に金銭を用意できないため200万クルザード相当のトラクターを2台用意した[2]。 同年10月18日に行われたJSL1部第1節、本田技研戦でリーグ戦デビューを果たすと、この試合で初得点を記録した[3]。1987-88シーズンには5アシストを記録するなど左サイドからヤンマー攻撃陣を牽引[4]。9得点をあげたジョナスとともに、前期シーズンを3位で折り返す原動力となった[4]。 加入3年目の1989-90シーズンのリーグ戦では、第8節の日産自動車戦で2アシストを記録し勝利に貢献(3-0でヤンマーの勝利)[5]するなど好調さを維持し、専門誌から日産のレナトとともに前期リーグの外人MVPと評価された[6]。 1990年7月には同僚の伊藤裕二や梶野智幸とともにJSL選抜に選ばれ、JALカップのFCバルセロナ戦に出場[5]。1990-91シーズンのリーグ戦ではチーム最多の5得点をあげるも、シーズン前に浮沈のカギを握るとみられていたベテランの草木克洋が2得点、2年目のマウロが無得点に終わるなど結果を残せず[1]。リーグ11位となり2部降格が決定すると、1991-92シーズンからはJSL1部の松下電器へ移籍した[1]。 1992年、松下がプロ化によりガンバ大阪へ移行した後もチームに在籍し、Jリーグカップでは同年9月5日に行われた第1節の横浜マリノス戦[7]を含む全9試合に出場するも同年限りで退団した[8]。 個人成績日本国内成績
現在は、日本国内成績のみ。 その他の公式戦
選抜歴
脚注
関連項目外部リンク
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