ミラー・マン (キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドのアルバム)
『ミラー・マン』(Mirror Man)は、ドン・ヴァン・ヴリートが率いるキャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンド[注釈 1]が1967年に録音した未発表音源の一部を収録して1971年に発表された、通算5作目のアルバムである[注釈 2]。 2022年現在、オリジナル・アルバムに収録されていた4曲と、同時期に録音された5曲を収録した『ミラー・マン・セッションズ』(The Mirror Man Sessions)として入手可能である。 解説経緯1967年9月、キャプテン・ビーフハート・アンド・ヒズ・マジック・バンドのデビュー・アルバム『セイフ・アズ・ミルク』がブッダ・レコード初のアルバムとして発表された。しかし音楽監督の役割を果たしたメンバーのライ・クーダー(ギター)は、6月にファンタジー・フェアー・アンド・マジック・マウンテン・ミュージック・フェスティバルに出演した時の出来事[注釈 3]でヴァン・ヴリートに愛想を尽かして、既に脱退していた[1]。クーダーの後釜としてジェリー・マギー[注釈 4]が短期間在籍したあと、1967年10月にジェフ・コットンが加入した。彼はメンバーのジョン・フレンチ(ドラムス)が以前在籍したブルース・イン・ア・ボトルのギタリストだった[2]。 コットンを迎えた彼等は"It Comes To You In A Plain Brown Wrapper"と名付けた二枚組の新作アルバムの完成を目指して、10月と11月、ハリウッドのサンセット大通りにあるTTGスタジオで、『セイフ・アズ・ミルク』と同様にボブ・クラスノウをプロデューサーに迎えて新曲を録音した[3]。彼等はこのアルバムを、Captain Beefheart and His Magic Bandによる綿密なスタジオ録音の部と、25th Century Quakerという架空のバンドによるアヴァンギャルド・ブルースの即興演奏の部からなる二部構成にしたいと考え[4]、まずライブ形式で25th Century Quakerの部の3曲を録音した。そして次の数週間、サイケデリック・ミュージック、ポリリズムなどの要素を持つ11曲を録音した。これらの曲は前作で披露された新しいブルース・ロックに新機軸が加えられたもので、ヴァン・ヴリートが当時興味を抱いていたフリー・ジャズの影響も感じさせた[3]。 しかしブッダ・レコードはこの新作アルバムの制作を中止させ、彼等が録音した音源を全てお蔵入りにした。その理由は明らかではない[5]。この頃、ブッダ・レコードはバブルガム・ポップで商売する方針を固めてプロデューサーのジェリー・カセネツとジェフリー・カッツが率いるスーパー・K・プロダクションを傘下に置き、1910フルーツガム・カンパニーらの作品を売り出し始めた[6]。従って、彼等の音楽は会社の方針にはそぐわない、と判断したのであろう[注釈 5]。 新作を差し押さえられてしまった彼等はブッダ・レコードを去り、新たに録音した音源をクラスノウが設立したブルー・サム・レコードから『ストリクトリー・パーソナル』(1968年)として発表した。さらにフランク・ザッパが設立したストレイト・レコードに移籍して『トラウト・マスク・レプリカ』(1969年)、『リック・マイ・デカルズ・オフ、ベイビー』(1970年)を発表した。1971年4月、彼等の人気[注釈 6]を見たブッダ・レコードは、差し押さえて未発表にしていた音源からの4曲を本作で発表した[7]。本作はイギリスのアルバム・チャートで最高49位を記録した[8]。 内容本作にはライブ形式で録音された3曲を含んだ4曲が収録された。 ロバート・ジョンソンの'Terraplane Blues'をもじった'Tarotplane'(「カルタの飛行機」)では、ヴァン・ヴリートがフリー・ジャズの先駆者であるオーネット・コールマンから貰ったシェーナイ[注釈 7][9]を演奏した。 『ミラー・マン・セッションズ』1999年4月、ブッダ・レコードは、『ミラー・マン』に収録されていた4曲に5曲を追加して[注釈 8]、CD『ミラー・マン・セッションズ』(The Mirror Man Sessions)を発表した。 収録曲作詞・作曲は全曲Don Van Vlietによる。邦題は日本盤CD[10][11]に準拠。 『ミラー・マン』オリジナルLPCD『ミラー・マン・セッションズ』
参加ミュージシャン
脚注注釈
出典
引用文献
関連項目 |
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