ムニル・エル・ハムダウィ
ムニル・エル・ハムダウィ(アラビア語: منير الحمداوي, ラテン文字表記: Mounir El Hamdaoui, 1984年7月14日 - )は、オランダ・ロッテルダム出身の元モロッコ代表サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 クラブ経歴初期の経歴オランダ・エールステ・ディヴィジ(2部)のSBVエクセルシオールで74試合32得点と得点を量産したため、2005年1月にイングランドのトッテナム・ホットスパーFCに3年半の契約期間で移籍した。入団してすぐに行われたピースカップではオリンピック・リヨンを破って優勝した。ノーサンプトン・タウンFC、オールダーショット・タウンFCとの親善試合では得点したが、プレミアリーグの出場は1試合もなかった。 2005年9月、ダービー・カウンティFCにレンタル移籍した。6試合で2得点したが、2006年3月上旬にトッテナムに復帰した。他クラブにレンタルされる予定だったがキャンセルされ、4月にはダービーに戻った。2006年6月、母国のヴィレムIIに移籍した。4試合で3得点する上々な滑り出しを見せたが、ダービー在籍時にも悩まされた膝の怪我に襲われ、6ヶ月の間プレーできなかった[1]。 AZ2007年8月31日、2012年までの契約でAZアルクマールに移籍した。2008年9月27日に行われた古巣ヴィレムII戦でハットトリックを達成するなど、2008-09シーズン前半戦だけで16得点を挙げ、FCバルセロナが興味を示していると報道された[2]。最終節を前にアヤックス・アムステルダムのルイス・スアレスと22得点で並んでいたが、最終節のSCヘーレンフェーン戦で得点したことにより、単独での得点王を獲得した。これにより、多くのビッグクラブの注目の的となった[3]。 2009-10シーズンは開幕から4試合で5得点と好調なスタートを切った。2009年10月に行われたKNVBカップ・SVスパーケンブルフ戦で負傷して1ヶ月ほど離脱したが[4]、復帰後のフェイエノールト戦から6試合で9得点(そのうち2試合でハットトリック達成)と爆発し、得点ランキング4位の19点を挙げた。 アヤックス2010年7月30日、トッテナム・ホットスパーFC時代の恩師であるマルティン・ヨル監督が率いるアヤックス・アムステルダムと4年契約を結んだ[5][6]。8月8日のFCフローニンゲン戦でリーグ戦デビューし、UEFAチャンピオンズリーグ・プレーオフのFCディナモ・キーウ戦セカンドレグ (2-1) で初得点を挙げた[7]。9月28日に行われた同大会グループリーグのACミラン戦(1-1)でも得点した[8]。 フィオレンティーナ2012年7月11日、セリエAのACFフィオレンティーナへの移籍が決定した。 中東時代2016年8月8日、カタール・スターズリーグのウム・サラルSCからサウジ・プロフェッショナルリーグのアル・タアーウンFCに移籍した[9]。 トゥヴェンテ2017年1月にサウジアラビアを去り1年間フリーとなるが、2018年1月17日にFCトゥヴェンテへ半年間の契約で加入した[10]。負傷に影響によりカップ戦含め6試合出場無得点に終わり、シーズン終了を以てクラブを退団した。 アル・フライティヤートSC古巣のエクセルシオールを経て、カタールのアル・フライティヤートSCと契約。 代表経歴U-21オランダ代表でプレーしたが、モロッコ代表を選択することを決めていた。2005年、サウジアラビア戦でモロッコB代表の試合に出場した。2009年2月11日、チェコ戦でモロッコ代表デビュー。カメルーン、トーゴなどの強豪と同組となった南アフリカワールドカップ・アフリカ最終予選では、2009年3月28日の第1節ガボン戦で代表初得点を記録したが、チーム全体で3得点(6試合)しか挙げられず最下位で敗退した。 個人成績
タイトルクラブ
個人
脚注
外部リンク
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